2014年1月14日火曜日

Je suis là pour toi.

ここ約一年間で本当にいろんなことが頭と心を駆け巡り、
そしてここ半年間でいろんなことが頭と心から拭いさられた。
「拭い去られた」という表現、変だけど、合っている。だって...
これは、”自分自身が” ”自分自身に対して” 行ったことだからだ。



で。自分のなかで、残ったこと。
結局それは、大好きなもの、大好きな人、大好きな存在の事柄。

その”大好き”に対して、自分はどの角度を向いているのだろうか?
”大好き”なのに斜めからだったり、もしかして後ろ向いてたり、
っていうか、もはや目をつぶってたりしてないだろうか?

集中することと、執着することは違う。
執着することと、愛することは、背中合わせ、紙一重だ。

どれだけ手放せて、そのあとに何が残るか。

わたしの概念には、「時間」が存在しない。
同じく、「空間」も存在しない。

もちろん、現実的に社会生活を行う上では、目覚ましをかけて、向かうべき場所に移動する。
残業とか大キライなので、20:05にタイムカードを押す。
他人を意識して、迷惑をかけないように。スムーズに事を運ぶことを考えて、時計を見る。
他人と同じ言語を交わすのと同じ視点で、ツールとして時間を扱っているだけ。



でも、わたしたちは社会のために存在しているわけではない。
何のために?
それは、一番大事な唯一無二の存在のために。 とわたしは考える。

唯一無二の存在とは何か?
それはとってもカンタン、
「自分」のこと。

でもその自分のことをどれだけ知っているか?
どれだけ大事にしているか?

わたしは今、はっきり思うことがある。
この「自分」を知らない人に、他人を大事にすることはできないってこと。
他人と自分の境界は、時間と同じ。概念の問題。

自分を知ったあと、自分を感じたあと、
するべきことはおのずと分かる。っていうか、出てくる、それは
とっても自然なこと。

時間と同じ概念で、言葉にしないと分かにくいことがある。

いろんなことを手放して、自分自身から解放されて
で、結局、こう思う。

わたしは大事なあなたのためにここにいる。

Tu vois?



2014年1月7日火曜日

猫の領域

最近、また新しい感覚、というか新しい領域を発見した。

その彼とわたしの話す言葉は独特で、わたしたちは10歳ほど離れている。
どう表現していいのかわからないが、その彼とは生まれ持った不思議な感覚が本当に似ている。
まず、お互い出会った瞬間にわたしたちは、自分たちの関係性をぴったりと把握した。この関係性を言葉で表現するのは非常に難しい。恋人でもない、家族でもない、友達でも親友でもない、でもそのどれにでも近くて、あえていえば兄弟のような、お爺さんとその孫のような...
そんな関係。 を、出会った瞬間にお互いに認めたのだ。



あまり頻繁に会えないので、久しぶりに会えたら、わたしたちはお互いの近況の報告をし合う。とりわけそれは、その時置かれている恋愛の報告。その報告に対してふたりで楽しんで分析したり、そこで見つけた癖を言い合ったり、それは何か美味しいものを食べながら、いい音楽を聴きながら、時々はふたりで歌いながら、その時間をたっぷりと楽しむ。
それぞれまったくお互いに執着していないけれど、お互いのことは姉弟みたいにちょっと心配したりなぐさめ合ったりしている。


1年半ぶりくらいに会えたこの間は、魚の名前が付いた最近お気に入りのバーで、ふたりで音楽を聴きながら歌いながら、ほどよくアルコールを摂取して、仏教とかナイアガラの滝の話とかを挟んで、いいぐらいに酔っ払って店を出て、一緒に帰り着いて、ふたりで小さなベッドでぎゅっと抱き合って眠った。
そして、やっと分かったのだ。
わたしたちは、猫みたいだ。お互い、動物に近い感覚でお互いを癒し、一緒に眠ることができる。
実際に、「なんか、猫みたいだよね」 と寝ぼけながら笑い合った。



ある意味彼は確実に、わたしの”大切な恋人”よりもわたしを癒すことができる領域を持っている。
彼の腕の中で眠る感覚の心地好さと言ったら、ない!本当の弟とはこうはいかない、まず気色が悪い。ラヴな恋人とは、他に楽しむことがあるし、親友(女性)とはやっぱりこんなかたちで体のぬくもりをダイレクトに使って愛情を伝え合うことはない。

わたしとその彼の持つ領域では、お互いを猫にさせることができる。
ただ何もせずに抱き合って眠ることができる。




この”猫の領域”...なかなかいい♡ ですよww

2014年 はじまりはじまり
Bonne année!