そしてここ半年間でいろんなことが頭と心から拭いさられた。
「拭い去られた」という表現、変だけど、合っている。だって...
これは、”自分自身が” ”自分自身に対して” 行ったことだからだ。
で。自分のなかで、残ったこと。
結局それは、大好きなもの、大好きな人、大好きな存在の事柄。
その”大好き”に対して、自分はどの角度を向いているのだろうか?
”大好き”なのに斜めからだったり、もしかして後ろ向いてたり、
っていうか、もはや目をつぶってたりしてないだろうか?
っていうか、もはや目をつぶってたりしてないだろうか?
集中することと、執着することは違う。
執着することと、愛することは、背中合わせ、紙一重だ。
どれだけ手放せて、そのあとに何が残るか。
わたしの概念には、「時間」が存在しない。
同じく、「空間」も存在しない。
もちろん、現実的に社会生活を行う上では、目覚ましをかけて、向かうべき場所に移動する。
残業とか大キライなので、20:05にタイムカードを押す。
他人を意識して、迷惑をかけないように。スムーズに事を運ぶことを考えて、時計を見る。
他人と同じ言語を交わすのと同じ視点で、ツールとして時間を扱っているだけ。
でも、わたしたちは社会のために存在しているわけではない。
何のために?
それは、一番大事な唯一無二の存在のために。 とわたしは考える。
唯一無二の存在とは何か?
それはとってもカンタン、
「自分」のこと。
「自分」のこと。
でもその自分のことをどれだけ知っているか?
どれだけ大事にしているか?
わたしは今、はっきり思うことがある。
この「自分」を知らない人に、他人を大事にすることはできないってこと。
他人と自分の境界は、時間と同じ。概念の問題。
他人と自分の境界は、時間と同じ。概念の問題。
自分を知ったあと、自分を感じたあと、
するべきことはおのずと分かる。っていうか、出てくる、それは
とっても自然なこと。
時間と同じ概念で、言葉にしないと分かにくいことがある。
時間と同じ概念で、言葉にしないと分かにくいことがある。
いろんなことを手放して、自分自身から解放されて
で、結局、こう思う。
わたしは大事なあなたのためにここにいる。
Tu vois?