2014年9月17日水曜日

Paris 私的回想録 - 19区 -

Paris 19区(2009年 12月- 2010年 7月末)

これから住むアパルトマンがあるメトロの駅のホームにわたしが初めて降り立ったのは、12月の初めの朝の5時過ぎだった。Parisの冬の5時はまだ真っ暗だ。5日前に日本からパリに着いたばかり。まだ地下鉄にもなれていない。しかもあれほど日本を発つ前に、Parisの街をよく知るいろんな人から「人気のない地下鉄にはひとりで乗るな」と忠告を受けていたはずなのに、すでにパリ到着5日目でその忠告を無視している。
すくみそうになる足をどうにか動かし、メトロを降りるとホームを走りとにかく必死に地上への出口を探しかけ上がる。地上に出ると、目に入ったのがメトロの駅の名前が付いたカフェ。そのまま信号を斜めに渡ってパン屋。その横の角にはメガネのチェーン店。もちろんまだ全ての店は閉まっている。真っ暗な中で看板の文字だけが目印だ。左に曲がって、少しそこからゆるやかな坂になる。
Parisの地図の青い本を右手に、住所を走り書きしたメモを左手にぎゅっと握りしめて暗い通りを急ぎ足で、とにかく前だけを見て歩く。高架下の物影が動く度に足を速める。こんな無茶なことするんじゃなかったと後悔で胸と頭が一杯になった時、メモに書いている住所の通りと同じ名前の通りを見つけた。
薄暗く地面も整備されていない小道に入る。


その日はParisに住む日本人の女友達が日本に帰国する日。彼女の借りていたアパルトマンに入れ替わりわたしがその日から住むことになっている。一週間前、わたしがまだ日本を発つ前に彼女と電話をした時には、鍵渡す時にゆっくりお茶でもしようね、なんて言われていたが、出発前の日になって「荷造りが全然終わってないの!5時半にはもう出発するから、悪いけど出発する前に直接アパルトマンまで取りに来て!」と電話がかかってきたのだ。Parisに1年住むと、気性の荒さがすっかりパリジェンヌ化してしまうようだ。

その薄暗い小道、並ぶ建物はどれも同じ建物に見え、番地を注意深く見ながら歩く。あった、十一番地!
蹴れば簡単に開くのではないかと思うような立て付けが悪いそのアパルトマンの朽ちた緑色のドアの前に立ち、部屋番号の呼び鈴を鳴らした。


とにかく快適でないないらすぐ引越しなよ!ハイ、これ!
とぶっきらぼうに彼女から手渡された鍵は、日本では見たことがない初めて手にする、古いヨーロッパ映画でみた鍵のかたちをしていた。

その日からわたしのParisでの暮らしが始まった。
実際蹴るまでいかずとも、足に力を入れて押さえながら鍵を閉めるコツがいる立て付けの悪いアパルトマンのドアや、隙間だらけの斜めの床、日曜日になると隣に住むアフリカ系の家族のアパルトマンから聞こえてくる民族音楽の太鼓の音、すばやく済ませないとお湯から水に変わってしまうシャワー、一睡もできない夜を経験させたねずみの爪音(!)
そのアパルトマンの暮らしは、わたしに順応さ、そして日本の暮らしがいかに快適であるかを体得させた。でも元来柔軟さは持ち合わせているので、1ヶ月もしないうちにわたしはその暮らしを気に入り始めた。(ねずみ以外!)

そこの暮らしを気に入った大きな理由はその地区がとても住みやすかったというのが大きい。アパルトマンから徒歩2分、MOF(フランス国家最優秀職人)取得の美味しいパン屋があり、八百屋も肉屋もチーズ屋も、モノプリもホームセンターもナチュラリア(オーガニック商品専門のスーパー)も本屋も花市場も、生活に必要なものはなんでも揃う。メトロの駅の名前がつくカフェはアパルトマンから5分のところにあり、そこのサラダ・ペリゴールは大のお気に入りで、今でもわたしにとってのParisの味はあれなのだ。そのカフェのすぐそばにはサンマルタン運河が流れ、天気のいい日はその界隈に住む住人が日向ぼっこをしに行く。そんな界隈だ。



近所の八百屋やパン屋の店員と顔馴染みになり、アクセントや”R”が入るその少しむずかしいメトロの駅名をやっと正しく発音できるようになった頃に、かの有名なサンジェルマン・デュプレから目と鼻の先の左岸の界隈へ引っ越すことになり、わたしは19区の暮らしを離れた。

BoBoなのかスノッブなのかしらないが、今でも時々、「いやー、わたしはもっぱら左岸派です。右岸?一桁代ならまだしも二桁の区なんて、そんな移民だらけの庶民くさい界隈なんて、足を踏み入れたこともないよ。」なーんていう人種に出くわすことが極たま~にある。Parisは20区に分かれいて、セーヌ河を境に右岸、左岸と呼ばれている。右岸は特に二桁代、つまり10区~20区は移民が多く住む庶民的な界隈なのだ。
そんなことをいうスノビッシュな人と出会った時、わたしは心の中で大いに”庶民的なフランスの楽しさ”を知っていることの優越感に浸り、そしてそんなことを言う人を面白みのない人だと判断する。
シックな左岸の暮らしももちろん本当に楽しかったが、あの19区の庶民的な暮らしは独特で、フランスという国がまさに人種のるつぼであることを感じさせられ、そしてそれを生活レベルで楽しむことのできる経験は他ではなかったのだから。


Parisには不思議な磁場がある。今でもあの磁場をわたしの体のどこかの器官が察知している、そんな気がする。

こうやって断片的に回想しながら、少しずつParisの街の魅力を解剖してみようか、なんて、意味があるのか無いのか、結果は目に見えているようなもんなのだけど、もしかしたら、もしかしたら、その秘密の端に指先が届くかもしれない。
なぜ今のタイミングなのかはよくわからないけど、わたしの記憶を辿りながらちょっとそれを試みてみようかと思う。Parisを記す。
まあ、飽きたらやめよう。

 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿