2015年3月4日水曜日

ナルシズムロマンチシズム、快楽のティラミス

もうすぐここ、福岡を離れる。2010年の11月末からだから、4年と少し。いろんなことをこの街でしたなと思う。サロン・デトワールのパーティイベントだとか、フランス語の教室だとか、離婚だとか。4年なんてあっという間で、短い間なのに濃密な時間だった。本当にいろんな人と知り合いになって、その中の何人かとは、ぐっと掘り下げて話ができるようになった。そしてここで出会った人と一緒に次の場所へ行くことを決めた。


で、 この間ふと思ったのだ。わたしはここでは、やっぱり初めから最後まで”外人”だったなあと。もちろんその”外人”の立ち位置を選択したのは自分だ。初めはとくに意識していたわけではなかったけれど、”あ、わたし外人なんだ”と気づいてからは、それを楽しむようになった。時々はここの人たちがグループになっている雰囲気をいいなあと思ったことはあったけれど、もともとわたしは子供の頃からグループの中に長くいることが苦手なので、やっぱりそれはあきらめて、外人でいることを楽しんだ。そんな風に居ると、本当にこの福岡の街は居心地がよく最高に住み易い場所だった。

で、そんな”外人”とぐっと仲良くしてくれるのは、同じ外人性質のタイプの人か、生粋の地の人にもかかわらず”外人”を追い求め、群れることが苦手な一種の変わり者(笑)のどちらか。この約4年の中でできたぐっといろんなことを掘り下げて話せる数少ない友人たちは、そうやってみると、このどちらかしかいないと気づいたのだ。

 
で、この変わり者の人たちを密かに観察してみると(笑)、全員ある種類の”かっこつけ”なのだと気づいた。ここが彼らの、多分わたしが一番気に入っているところであり、共通点だ。この人たち群れることが苦手なので、この”かっこつけ”というのは、もちろんひとりかっこつけ。周りの人たちにとってはどーでもいい、いわばちょっと神経症的なネクラかっこつけの種類。セレクトショップの店頭に立つ店員のようなばっちり決めたかっこつけの種類ではないし、あそこの人たち格好いいよね的なグループかっこいいでもない。その”かっこつけ”を不特定多数と共有する趣味は持っていない。時には恋人や近しい人にも見せたくない、言いたくない、バレたくない類の”かっこつけ”。これは、どこまで行ってもあくまでも”かっこつけ”なのであって、”隠れてする努力”というものでは決してない。(元来、この種の人たちは努力することを毛嫌いしている人も多い気がするw)

それは、脳内だけで完璧に味わえることが分かっているくせにちょっとだけ外に出したい、ちょっとだけ誰かと分かち合いたい、だけど誰にもコメントとかされたくない的なナルシズムとロマンチシズムが混じり合った突発的な涙みたいなもの。心の底からうっとりするためのもの。例えば恋人と使ったオモチャの電池は見えないところでそっと抜きたい、そんな類。ライブのステージで、曲と曲の間におもむろに香水を手首につける、そんな類。そんな類の”かっこつけ”。まあわたしはライブもしないし、オモチャも使わないけどw わたしたちはその”かっこつけ”がとてもひとりよがりで孤独であることを知っている。
お互いに”かっこつけ”を認め合い慰め合い馬鹿にし合う。恋人とは違う意味でロマンチックな夜を共有できる間柄。


この愛すべき”かっこつけ”の友人たちとは離れがたいけれど、それもまあしかたがない。あと1ヶ月と少しでここを発つ。またわたしは”外人”と呼ばれる場所で生きていくことになる。
ここで出会った友人たちとロマンチックな夜をまたどこかで過ごせたらいいなと思う。


そんな愛すべき友人の一人と夜、新ガエタノで食事。ここのティラミスが美味しすぎた。とろりと溶けたりカリカリしたりぐんにゃりしたりと欲張りなのだ。あまりの美味しさにわたしとその友人はふたりとも瞬時に、分け合うことを拒否し、丸々一個を独り占めしたくなり過ぎてもうひとつお代わりした。快楽はどこまでいってもエゴイスティックだ。
それにしてもあのティラミス、あともう1回は最低でも食べたいので、センチメンタルになるのはさくっと止めて、福岡にはまだあと1ヶ月居れるんだと、貪欲に過ごすことにする。そうしたらまたあのティラミスを食べることができる。



イラストはセビリア生まれのアーティスト Adara Sánchez Auguiano
http://adarasanchez.tumblr.com/