2015年4月16日木曜日

最近の選択ごと、ベジタリアン

何から書き始めればよいだろうか...最近いろんなことが動き出して、考えもいろいろなことにおよんで書きたいことが多すぎる...う~ん、どうせ収拾がつかなくなるのがオチなのだから、それなら初めからまとめようなんて思わずにとりとめもなく記すことにしよう。

福岡を今月末に発つ。実家がある大阪に数ヶ月滞在し、それからフランスへ住みかを移す。それを話すと時々人からは、「大きな決断だね。」とか「不安もあるでしょうが、」とかそういうことを言われたりするけれど、実は大きな決断をしたとかそういう実感があまりないし、不安も実はほとんどない。おそらく脳天気なのだろうけれど、感覚のまま方向転換をしながら流れにそのままそって浮かんでいるような感じなので、自分の中で選択したという感覚がない。まあなにか問題があればその都度クリアにしていくわけだけど。


それと同じように流れる感覚で自然に行き着いた最近の選択のもうひとつに、ベジタリアンとして暮らしていくとを決めたことがある。大学時代、一度ベジタリアンになろうと思ったことがあるが、知識も浅く意識もふわふわと軽いままで長続きはしなかった。でもその頃からずーっと意識のすみにベジタリアンへの興味を持ち続けていた。
昔から食べ物を味わうことが大好きで、お腹が膨れればそれでよしとするタイプではない。食わず嫌いとかわたしの中にはなく、食べたことないものは食べてみたい!と、こと食べ物に関してはよく言えば好奇心旺盛で、まあつまり食い意地が張っているのだ。もともと小さい頃はあまり肉が好きではなく魚が大好物だったけどワインやらお酒を楽しめるようになってからは、もうどしどし肉も食べた。得意ではなかったけれど、フォアグラも鳩も蛙も食べた。

 
でもこの1、2年くらいでゆっくりといろいろなことへの意識が変わり、少しずつベジタリアンへの興味が強くなってきていた。それで、住む場所をフランスへ移すと決めたとき、フランスへ引っ越したらベジタリアンになろうと決めた。なぜフランスへ行ってからなのか、なぜ今からじゃだめなのかというと、日本ではベジタリアンとして生活するのはむずかしいと思ったからだ。いろんなところに動物由来のゼラチンが多く使われているし、魚のダシが使われているし、とくに九州は美味しい魚の誘惑が多いから(笑)w  しかも日本の野菜や果物は種類も少ないし、値段が高い。それに、集団意識の強い日本の社会の中で、菜食主義を貫くのはけっこうむずかしいのではないかと思っていたからだ。そんなときに、ベジタリアンの友人と一緒に食事に行くことになった。聞けば彼女は15年以上も日本で菜食の生活をしている人。日本で菜食を続けるのは、そんなに神経質にならずに自分のできる範囲で選択していけば、全然むずかしくないよと、鈴のようにコロコロと笑いながら話す彼女に、わたしのこわばっていた意識がホロホロとくずれていった。そっか、自然にできることをすればいいだけだ、外で食べるものも自分で臨機応変に選択すればいいんだ。
というわけで、なにもフランスへ住んでからではなく、今からできるじゃないかと、1、2ヶ月くらい前からゆるゆるとベジタリアンの生活を始めた。栄養のことを考えて、わたしは卵や乳製品を食べるので、ラクト・オボ・ベジタリアンに分類される。
とはいえ、まだ外食などで完全にはやはりむずかしく少しずつ取り入れていくつもりなので、今のところ、誘われた外食で肉や魚が出た場合は食べることもある。



なんでベジタリアンに?と聞かれると、いろんな理由が合わさり重なりあっているんだけれど、一番は感覚的なところが大きい。世界と関わる方法として、自分の体と心の感覚が密接に関わる食の領域から始めてみようとなんとなく自然にそう思ったのだ。変な宗教にでも入信したんじゃないの?と言われそうなものだけど、わたしは生まれた時から自分宗教に没頭していて、もちろん今も抜け出せないでいるw 自分宗教の信者としては、または教祖しては、わたしには菜食主義が合っているというお告げに従い、ベジタリアンになることを決めた。マクロビはわたしにはきっと合わないし、ヴィーガンになるにはわたしの性格は厳格じゃなさすぎるので、自分の考えられる範囲で、自分の体を通して少しずつ世界に関わっていこうと思う。とはいえ、今まで栄養のことなんてほんとなんにも気にしていなかったので、いろいろと研究を重ねなければならない。今ネットで話題の”菜食を止めた理由”を書いている人のブログとか読んだりww 多分菜食になったことで多少の健康を害す人はいるだろうし、必ずしもいい面ばっかりじゃないだろうと思うので、何が自分に合っているのかを自分の体と心に聞きながらゆっくりすすめていけたらと思っている。

何かを口に入れ、それを飲み込む。ただ単純なことだけど、それが自分の体と心に作用し、自分の肌を薄く覆うものを色づけ、そしてその外側にあるものに反映する。その口に入れた何かは一体何なのか、どんな旅をしてきたのか、誰から託されたものなのか、そういうものがすべて自分の内と外の境界に溶け込む。もう一度この感覚を大事にしてみたい。

 

で、生活をし始めたわけだけど。もともと野菜やら豆やらは大好物だし、そういうものでいろいろ料理を作るのがやってみるとハマるというか、楽しいのだ。もともとハーブやらスパイス好きというのもあって、料理をするのが楽で楽しい。ベジタリアンになったからといって、食い意地は相変わらず張っている。もともと白砂糖は使っていなかったけれど、使う糖類も変えてお菓子なんかを作ってみると、あら不思議、今まで前職場のストレスでチョコレート中毒だったのが、さらりとなくなった。っていうかこれは仕事を止めてストレスがないからかもしれないけどw


この2年間くらいで、今まで当たり前だと信じて、というかハナから疑いもしなかったことが、実はまったく当たり前ではなく、それが当たり前だと知らず知らずのうちに信じ込んでいた、という事実を知ることが次々とでてきた。当たり前だと信じられていることは誰かの考えなだけで、自分の考えではない。いろんなことを鵜呑みにするのではなく、一回自分で考えてみる。疑ってみる。感じ直してみる。わたしには肉も魚もTVも必要じゃないし、きっといつでもどこでも人とネット上でつながったりワンプッシュで誰かと話したりすることも本当は必要ではないだろうと思っている。あんなに昔はドラキュラ?というかこうもり?みたいな生活をしていたけれど、今はアルコールも時々人と楽しむ程度でいいし、あんなに高いお洋服もとくにそんなに必要ではない。だからといって、ベジタリアンになったから、何も山奥の千人のような生活をするわけではない。ヒールを履いてお洒落をしたり、人とご飯を食べに行ったりすることが好きなのはなんにも変わらない。浮世離れをしたいのではなく、今の生活で少し世界との関わり方を変えてみるだけだ。でもくれぐれもBoBoにだけはならないように気をつけようww

それにしても、自分自身で世界の彩りを選ぶということは、なんてわくわくすることなのだろうか...体の感覚と心の音と周りの世界を大事にすればいい。ただただそれだけのこと♡


最近はまっているロースウィーツづくり