2016年12月30日金曜日

愛しいもの、月の味

家族とのクリスマスも終えて、ぽっかりと時間が空いた年の末も末の末端。新月。やけに落ち着いた気分だ。で、やっとここに文章が書ける。

仲のいい女友達からSMSが届く。「あと5分で着くよ!」
それからまもなく、わたしのアパルトマンには赤い花のような笑顔の彼女とティラミスが届いた。ティラミスに目がないわたしとCyrilのために彼女が本場の味をと、手作りして届けてくれたのだ。
ほとんどイタリアのアクセントがない綺麗なフランス語を流暢に話す彼女は、ローマ出身である。彼女は赤がよく似合う。わたしたちはいろんなことを話す。最近読んで衝撃を受けた本について、美味しいピッツァについて、自分の心の癖について、小さな意地悪の原因について、なぜ男の人の多くは政治の話をし出すと止まらないのかについて、角のスナックで働いている髭のかっこいい男の子について、精神世界について、パリについて、今の世界について、興奮して眠れない夜について...etc
強いカフェを飲みながら、あるいは赤いワインを飲みながら。そしてあるいは極上のティラミスをほう張りながら。青い朝、白い午後、紫の夕暮れ、赤い夜。
この日食べたティラミスは、甘過ぎず、水分も多すぎず、食感も何もかも、今まで食べたどのレストランのものよりも最高に美味しいティラミスだった。



フランスに住み始めて1年と5ヶ月。ここ南仏にCyril以外誰ひとりも知り合いがいなかった始めの11ヶ月間から考えると、わたしの生活はがらりと変わった。知り合いも友達も、こうやって繰り返し何度も会って深い話ができる女友達も、笑い合ったり半ば本気で泣きそうになりながら慰めあったりできる女友達もできた。日本人の女の子たちの友達もできて、おかげでフランス語脳を少し休ませたり美味しい日本食にありつける機会も格段に増えた。小さいけれど自分で仕事をし始めだした。
相変わらず、日本にいる親友に無性に会いたくなって夜中に突然連絡したり、何か理由をつけてはパリの親友に会いにパリへ行くことは変わらないのだけれど、ここニースでの生活にも今までにはどこにもない愛おしさを感じるようになっている。無性に夏泳いでいた海の中が恋しくて恋しくて、水の中に潜って海中から太陽の光を見る感覚の白昼夢を見る。
そして、いつまでたってもわたしは女友達という生き物が好きでたまらないらしく、彼女たちに助けられている。もちろんCyrilにもw



これを書いている途中、パソコンでニュースを読んでいたCyrilがわたしに声をかける。「EUの法律で、3年後に綿棒の販売が禁止されることが決まったよ。綿棒が環境に悪いからだそうだよ。」
原発はOK。でも綿棒はNG。Quand mâme c'est exagéré, non?
ちぐはぐでバラバラで、ずれて、極端で、大げさだ。
フランスの小学校から歴史の授業が消えている。
世界はどうなっていくのだろう。



街の通り、湿気を含んだ生ぬるい風が狂ったように吹く夕暮れ。歩く人々はどこか興奮した様子を隠せず子供のように帰り時を急ぐ。
あるいは、太陽の凝視に耐え切れず、着込んだコートを思わず歩きながらぬいでしまう昼下がり。斜めに射す強い光の中、乾いた冬の木の香りが漂う。

潮風の匂い。月が海に映り出す。
濃いカフェの香りとワイングラスが重なる音。光の予感。愛しい街。

2017年も、愛しい日々の連続を♡
Bonne année!!


2016年11月9日水曜日

入り込む煙、気配

高校生の頃、仲のいい男友達に勧められて見た「スモーク」。画面構成、色合い、登場人物、彼らの仕草、ストーリー展開、その中の事柄ほとんどすべてが(登場人物の男のすごい柄のネクタイを除いて)わたしの好みで、それからずっと自分の中でとっておきの映画のひとつ。それをつい最近7、8年ぶりに見た。煙草ももう止めてだいぶ経つし、細かなストーリーなんてまったく覚えていなかったけれど、やっぱりとっても好きな映画で、それから、無性に嫉妬のような、この芸術作品に散らばる表現の欠片(カケラ)たちを全部ひとおもいに飲み干したい欲望にかられた。


必ずしも日常はいつもアーティスティックではない。それでもわたしは日々どこかいつも芸術の光の欠片(カケラ)を探すことをやめられないでいる。芸術になり得る何か、昇華させることのできる何か、本当の意味で美につながる何か。年々「現代アート」と呼ばれるものが自分の苦手となりつつあるなかで、美しさの欠片を探し求める目だけは失わないようにとどこか祈りにも似たものを日々紡いでいる。

ただ、それと同時にそこに混じりこむ異物も捨てられないでもいる。ろ過されたあとに残るものたち。ナルシズムとロマンチシズムが混じり合った突発的な涙みたいなもの。心の底からうっとりするためのもの。その中に光の欠片を見つけて思わず目を閉じる。カフェで女友達ととりとめのない話をすることにも、料理をしながら鼻歌を歌うことにも、瞑想することにも、ベッドの中で裸で話をすることにも、夕暮れ時大好きな街の中で途方に暮れることの中にも、紛れこむ、もの。欠片。


月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。アーモンドを少し齧る。言い訳の赤色を愛する指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。ろうそくの光が滲む水の色を味わう。揺れるリズムに身を委ねる。


不思議と身体が引き寄せられる街の光、気配、空気、匂い。少しの間忘れていた、それらを立ちのぼらせる煙がわたしの身体の中に入り込む。

愛しい日々の連続を。


2016年10月5日水曜日

Marking in Paris3

>>>前回からの続き

ラスパイユのビオマルシェに行こうと思いついたのが遅すぎて、着いたらすでに終わっていたので、しかたなく周りをあてもなくふらふら歩いていた。すると偶然近くの道沿いに蚤の市が立っていて、そのまま物色する。


面白かったのはこの界隈はボンマルシェがすぐそばにある高級界隈で、面白かったのは蚤の市で出している人の大半が高級マダム、売り物もルブタンだのボンポワンだのと蚤の市にだす?!という品揃え。接客も、「これボンマルシェの2階で買ったのよ。」と独特(笑)「これサイズ何ですか?」と聞いたマドモワゼルに「バレンシアガの38」とつっけんどんに返していたマダムの店もあった。バレンシアガのサイズ感知っている人しか買わないで的接客なのだろうかと内心笑いが止まらなかった。物欲の塊だった昔のわたしなら、帰りの荷物は倍以上に膨らんでいただろうな、なんて苦笑。


店番のマダムたちのコーディネートも素敵な人がたくさいいた。写真を撮らせてもらう。ちょうど開催中のミラノコレクションには行けなかったので、ここで欲求不満解消w


もちろんちらほら普通の蚤の市も出ている。極端に盗品ばっかりを売っているんじゃなかろうかと思うような店もあったりしてなかなか他では味わえない独特の蚤の市で面白かった。

前に住んでいた界隈を久しぶりに散歩。ここからも実はエッフェル搭が見えるスポットがある。



ニースに住む友人、イタリア人のヴェロニカからSMSが届く。
「パリはどう?コートダジュールブルーが恋しくなってるんじゃない?」
返信:海で泳ぐ本物の魚が恋しいよ。
偶然見つけて入った可愛いインテリア店の魚の壁飾りの写真付きでメールを返信する。


次回へ続く




Marking in Paris 2

>>>前回からの続き

有給をとってわたしのParis散歩に付き合ってくれた親友。メトロの地図はほとんど頭に入っているし、わたしの大好きな9区も11区もすでに住んでいたのでさくさくと道がわかる。彼女とのParis散歩は地図もGoogle mapも必要ない。



パッサージュの何がいいって、光の入る具合で風景の色彩が変わるのが素敵だ。




パリの街はグルテンフリーのパティスリーがかなり増えていた。個人的には強いグルテンフリー信仰はないけれど(ただし安心できる小麦粉に限る)、小麦粉を使わないでこれだけ美味しいって、いろんな可能性が広がって楽しい。




この日二人して行きたかったのはローフードレストラン。とにかく繊細で洗練された味に親友も仕事を休んでよかったと納得w


夜は夜で女友達3人でSoirée de filles(女子会)。やっぱり気の置けない女友達というのは本当に居心地がいいもので、話題はつきない。目の前に出されたすごく美味しいきのこのソテーに舌鼓を打ちながら、恋人の友人カップルが極端に人種差別主義者で彼らとのディナーがどれだけ苦痛だったかやら、その女性の方のメイクがすごい(酷い)ことやら、彼女たちふたりともが習っている生け花教室の先生たちの確執やら、BOBOの悪口やら、結局話題はどうでもいいことだらけなのだけど、ワインがすすむ。ふたりして昼間は結構固い仕事をしているくせに(?)まったく真面目じゃない。なぜだかこのふたりのフランス語は頭にすいすいと入ってくる。ワインのせいか...

>>>Marking in Paris3へ続く




Marking in Paris1

>>>前回からの続き

ぽっかりと空いた扉の向こうに広がるインド。

  



 友人を待つ間、時間潰しに入ったカフェは思いがけずとても、とても好みだった。



最近わたしが散策するのが好きなのは20区。だいたい20区を散歩していたら、道に迷うのでそのあとの友達との約束の時間に間に合わないw



お気に入りのブルックリンを思い出す本屋。アートの本が専門だけど、絵本コーナーもあるので、親子で楽しんでいる人たちもたくさん。



今までは何かというと11区好きだったけれど、今回9区の面白さを再発見。何かと言うと9区を歩いていた気がする。


古着屋のお姉さんと気が合ってついつい長いして、ついつい荷物が増えるw


コートダジュールブルーには比にならないけれど、それでも傘の出番は一度もなくずっと青空が広がっていた。


>>>Marking in Paris2へ続く



気がついたらパリ、メトロの構内

ニースに帰ってきてから丸2日間、泥のように眠った。開けようとしても開けようとしても瞼はきっぱりと閉幕を決めた緞帳(どんちょう)のように重く、重くとじる。15時の南仏の太陽は容赦なく部屋の中に差し込んでくる。9月の終わりというのに、カーテンの隙間から強い日差しが入りこみ部屋の中に居ても日焼けをしてしまう。それでもどうしようもないほど体が重く、雨戸を閉めるのが億劫でバサリとベッドに倒れたその時のまま、太陽の光と時折吹き込む風の間でわたしは四六時中眠った。

ようやく目が覚める。なぜこんなにも眠ってしまったのだろう。今回パリから帰ってきてから同じ国なのに時差ボケか?と思うほど、体は重く頭は朦朧とし、眠ることしか考えられなかった。今までに海外旅行も何度か経験しているけれど、国をまたいでもそうそうへこたれない体なのに。こんなことは今回が初めてだった。
そしてもうひとつ、パリから帰ってきて変なこと。道を歩いていたり人と話していたりしているのにそれとは一切関係なしに、一瞬、友人や知り合いの顔が頭にはっきりとした鮮明な画像で浮かぶ。そしてその数分後、もしくは数時間後、その友人から連絡がくる、もしくは道でばったり会う。これをこの数日5、6回繰り返している。
パリから帰ったあとはいつも何か不思議なことが起こる。今度はパリでわたしの中に何が入りこんだのだろう。



気がついたらメトロの構内をずんずんと歩いていた。昔にもここに書いたことがあるけれど、わたしはパリに来る時、時空を超えたようなワープをしてしまう。今回もまたその感覚だった。もちろん、ニースから飛行機を乗って、CDGでバスに乗り換えて、という工程を踏んできた、はずだ。というのも、朝起きて家の近くのバス停からバスに乗り込んだあたりから記憶が曖昧で、そして、気付いたらパリ、メトロ、なのだ。なぜかここに来る時はいつもこう。ワープをする。ワープをした後は、それまでの曖昧さとはうってかわってやけに頭がすっきりし、目の前に広がるものがくっきりとよく見える。初めてのこの体験の時は、気付いたらオルセー美術館のサイの銅像の前。2回目はマレのカフェの前。そして今回は、気付いたらメトロの構内。ぼーっとした頭を抱えて階段を上がってみると、いつものようにやけに頭はすっきりし目の前に現れたのはオテルドヴィルの二匹のライオン、くっきりと浮かぶ二匹の輪郭を見た。


パリに住む親友のセリーヌには、一年間に2回もなんてちょっとパリに来すぎじゃない?なんて憎まれ口を叩かれる。それでも、当初はアパートをどこか借りるつもりだったわたしに、借りる必要なんてないと、滞在の丸一週間彼女の家のベッドを独り占めさせてくれた。

パリ滞在丸一週間、朝から晩まで歩きまわった。左岸の端からぐーっと右岸の端への移動を同じ日に何度も繰り返してみたり、反対に同じカルチエ(地区)の細かい路地を縫うように二日連続で少しずつ歩いてみたり、20区の端で迷子になったりと、自由気ままに気の向くまま、野良猫のマーキングのようにとにかく、とにかく歩いた。朝から女友達を呼び出してずっと喋り続けたり、親友のオフィスに遊びに行って仕事の邪魔をしたり、突然家に泊まりに行ったりと、歩いていない時は友人たちをわずらわせる。


パリに住むもうひとりの大切な友人、何から何までいろんなことを話し合うゾラは、パリから戻るといつも決まってわたしには何かしら状況などの大きな変化が起こるという不思議な出来事を知っているので、彼女は最後の別れ際わたしに言う。「今回はどんな変化があるのか楽しみだね。」


ニースの青い空とエメラルドグリーンの海との暮らしが本当に好きになっている。それでもやっぱりいつまでたってもパリの街の美しさにわたしはいつも魅了されている。美味しいものを食べたり話題の店に行ったり素敵な雑貨を買ったりと、そういう街遊びが好きということもあるのだけれど、本当をいうとそういうことはわたしの中でまったく一番ではない。実はそんなことがまったくなくてもいい。ただただ、わたしは惹き付け続けられている。パリの街全体の微妙な色彩が放つ不思議な磁場に。

>>>Marking in Paris1へ続く



2016年9月1日木曜日

水の中にドボンと飛び込む感覚

両手の平を合わせて指先からそろりと水の中に入り込む。肘、肩、額。徐々に水に同化させていく。ゆっくり目を開ける。そこは白と青と緑色を薄く薄く水でのばした色の世界。足をゆっくり片方ずつ上下に動かす。魚の群れの中をゆっくりと進んでいく。
朝起きて、コーヒー飲んだり洗濯物を干したり、それから外に出て近所の人たちに挨拶なんかして、じりじりと陽に焼かれながら歩いて、買い物したり、仕事に出かけたり、友達とお茶したり、Cyrilとワイン飲んだり。
でも、ただ一歩日常から水の中に入ってしまえば、こんな世界が広がっている。体はその中でただただ浮いて動いている。なんて気持ちがよいのだろう。


思えば去年はフランスに来たばっかりで、Cyrilとその家族以外本当に誰も知り合いがいなかった。それから約10ヶ月くらいずっと知り合いがいない状態が続いて、しかもフランス生活の洗礼を受け過ぎてもうへとへとだった。今なら笑えることばっかりだけども。

自分でローケーキの仕事を始めるようになって、それを介してぐんとわたしの生活は広がった。「この間あなたのローケーキ食べたよ!」で、見ず知らずの人と会話が始まる。そのうちのひとりとはすごく仲良くなって、彼女が昨日の朝早くお祝いのメッセージをくれた。わたしの誕生日だったのである。

新作イチジクのキャラメルシナモンローケーキ

誕生日の朝、ローケーキの配達があったので家を出た。その店を経営している友達はFacebookの通知機能でわたしの誕生日を知ってくれていて、お祝いしてくれる。結局ランチに行こうよとなる。ランチに行った先はわたしがニースでお気に入りのローフードのカフェ。そこはこれが全部生??と信じられないくらいの美味しさのレベルでお店はお昼時はたいてい満員。とくにベジタリアンじゃなくても満足する味なのだ。そのカフェのオーナーカップルともローケーキ繋がりで仲良くなってお互いのローケーキを食べ合いっこしたりなんかした。そこに到着すると、まもなくばったり別の友達たちが入ってくる。結局みんなに誕生日のお祝いの言葉をかけてもらう。帰り道、友人カップルのカフェの前を通ると、これまたFBで知っていたらしくおめでとうと声がかかる。結局ノワゼットをご馳走になる。

帰り、近所のオーガニック食糧店に立ち寄ると、そこで働いているくだんの朝一でメールをくれた友達が誕生日の歌を歌って出迎えてくれた。

こうやって少しずつ少しずつ知り合いや友達というのは広がっていくんだな、ってなんだかすごく感慨深かった一日。誰も知っている人がいなかった去年のわたしに”大丈夫、大丈夫、そのうち知り合いも友達もできるよ”って声をかけてあげたい。年をとっていてもやっぱりおめでとうと声をかけてもらうのは嬉しいものである。

日本の親友から届いたピアス

フランスの生活は、日本で暮らすのとはかってもリズムも違うけれど、一番違うのは、毎日無意識に頭と心をフル回転させていることだ。頭はもちろん語学で。やはり自分の母国語ではない言語で毎日毎日暮らしていくというのはもちろん五年、十年経つと慣れるのかもしれないけれど、来てそうそう慣れるはずがない。今のわたしの頭は常に語学の神経を張り巡らしていて、時々どっと疲れることがある。心も、例えばその語学によって。いろんな人と出会って、当たり前だけどレベルは違うとはいえ、みんながみんなフランス語を話す。それであー、わたしはなんでこんなに話せないんだろう!なんて落ち込むのだ。子供みたいな会話しかできない自分のレベルにフラストレーションがたまる。波の強い海を小さなボートにしがみついてひとり浮かんでいるように、毎日何回も心が浮いては沈んで浮いては沈んでと、日本で経験する以上の浮き沈み具合で、船酔いが酷い(笑)

比べ出したらきりがない。人と。だいたいは自分の弱い部分とか目を背けたい嫌な部分とかそういうところにパッと焦点を当てて、で、それに対する他人の輝かしい部分だけをつまみ出してそれとこれを比べて劣等感の湯船にどっぷり浸かる。そんなことはほんとにほんとにエネルギーの無駄遣いだとわかっていても、それでも気づいたら人と比べて落ち込んだりしている自分がいる。浮いて沈んで沈んでぐっちょりとなる。
だからもうボートになんかしがみつくのはやめて、いつからか、海に飛び込んで泳ぐことにしようと決めた。もうじゃぶじゃぶ周りなんか気にしないで水しぶきおおいにあげて、犬かきでもなんでもいいから泳いでしまえばいいやと思うようになった。実際に、一人で海に出かけ、水の中に体を入れると、なんだか何もかもに受け入れられて自由な気分になる。魚だってわたしがいることをまったく気にしていないようにうようよとそのへんを泳いでいる。泳ぐのに少し疲れたらプカプカとただただ浮くだけ。

35歳の扉

昨日の夜、”この一年君にとってなんて変化ばかりの年だったんだろう。全部ゼロからのスタートになるのに、よくフランスで暮らすことを決断してくれたね、ありがとう”と書かれた誕生日のカードをCyrilがくれた。わたしの精神的な船酔いの酷さ具合を知っていて、諦めずに支えくれている彼こそにありがとうなのに。

月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。アーモンドを少し齧る。言い訳の赤色を愛する指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。ろうそくの光が滲む水の色を味わう。揺れるリズムに身を委ねる。

今何かをぎゅって悩んで動けないと思っている人や、何もかも人と比べてしまって自分の体の感覚があやふやになってしまっている人へ。

愛しい日々の連続を♡

シリーズ:”色の旋律”
Blue:冬の裾の色
Violet:紫のニュアンス
Entre Rose et Rouge:前髪から宇宙まで
Rainbow:魔女の色彩
Rouge:赤の分量
Rouge:赤のデザート




2016年8月18日木曜日

南仏、秘密の海岸、ガスパチョの隠し味

家の近所の広場に新しくできたカフェは、広場に向かって小さな丸い黒テーブルとクロス編みの椅子がパリ風にずらりと並べられている。久しぶりにパリの気分でも味わおうかと、座ってカフェを注文する。丸テーブルの黒はそこに映りこんだ景色を反射させ、覗き込むとそこに映るのは広場にそびえ立つ木の緑と、空。映りこむ真っ青の空の色でここがパリではないことを思い出す。

街を歩いていると、歩道に色鮮やかな小さな鳥の死体がよく、落ちている。ぎょっとして目を離せずに思わずじっと見るとそれは色とりどりの花。どこかから風にのってやってきた極彩色の花の屍体。赤、ピンク、オレンジ、黄、紫、白、水色、緑。

くり抜いたように青い空がのぞくニースの街中


ガスパチョ。夏になってからというもの、周りの友達は揃ってガスパチョガスパチョと言い出す。公園でのピクニック、カフェでのランチ、海岸でのアペロ、 何かにつけてガスパチョが登場する。フランス人もスペイン人もイタリア人もルーマニア人もブラジル人もみんなそれぞれに自前(じまえ)のレシピがある。やれトマトの種は入れたらだめだの、やれわたしはパプリカは入れないだの、やれうちは必ずキュウリ入りだよだの、やれオリーブオイルは混ぜずに最後に垂らすのがコツだのと、それぞれにこだわりがあるのが面白い。

日本に居た時は、ガスパチョというものは気取ったレストランの前菜でちょこっといっき飲み程度で出てくるものという印象で特に好きでも嫌いでもなかったのだけれど、ここにきて多種多様なガスパチョを味わいだして美味しいなんて思い出すと、もうあっと言う間に感化されて、”夏はガスパチョ、いいね〜”、となってしまう。

この日ももちろん美味しいガスパチョ登場。


夜、バルコニーに出て植物たちに水をやる。昼間の陽の光をふんだんに吸い込んだ緑の葉っぱたちはその場から水をゴクゴク飲み込んでいくようだ。ふと上を見上げるとバルコニーの天井に張ったビニルの透明の屋根に一筋の光が通っている。空の方へ顔を向けると、それは柔らかなそれでいて凛とした月の光だった。こんなにも煌々と光る月を見るのは何年ぶりだろうか。しばらくただただ見とれる。

観光客がやってこない秘密の海岸があるんだ。そこで夜のピクニックをしようよ。友達に誘われてワインを持ってついていく。車がビュンビュン飛ぶように走る県道をタイミングを見てそれぞれ急いで横切り、そこにひょっこり出てきたような階段を森の中へそろりそろりと下っていく。多い茂る草をかき分けてぐんぐん進む。大きなほら穴をくぐりぬけると目前に広がる、海。日が落ちていくその途中の時間だった。いつもの青に薄くグレーを混ぜたような色の空は海に近づくにつれて金色、薄いオレンジ、それから淡い桃色の層を織りなしている。銀色にテラテラと光る波。赤ワインを2杯ほど飲んだ頃、いつのまにかぽっかりと浮かぶ月。スポットライトのように海面を一筋照らしている。



で、南仏の夏はガスパチョだね〜なんていって、作ってみる。ちょうどスイカの残りを持て余していたから、人生で初めて作ってみるくせに最初から基本をおおいに外れて、スイカ入りのガスパチョ。生のニンニクはあまり得意ではないので、やんわりのお子様風。すっきりとした味は真夏にぴったり。美味しい。これに香ばしいバゲットをひたして食べるのがいい。

スイカのガスパチョ(3〜4人分)
トマト 2個
スイカ 300g
玉ねぎ 小半分
オリーブオイル 大さじ1.5
好みの酢(レモン汁でもいい) 大さじ1
バジル 好きなだけ
塩、胡椒 適量

全部の材料をブレンダーでガーッと混ぜて出来上がり。
でも友達曰く、色が変わってしまうのでオリーブオイルは仕上げに混ぜるのがいいらしい。

満月。カーテンを開いて月の光を入れる。出来上がったガスパチョをテーブルに並べる。
うちの家のガスパチョは、月の光入り。

愛しい日々の連続を♡



♥︎南仏海辺空想録はこちら↓
♥︎Paris私的回想録はこちら↓



2016年7月27日水曜日

テロの後、日本のこと、パラドックス、すごくすごく感じること 

あれから二週間、ニースの街はやっぱり青い空と青い海が輝いている。もともとあまりニースの中の観光メッカに特に行く方ではないので目の当たりにしないせいか、観光客は減ったという印象もさほどない。カフェのテラスではいつも通り人々が思い思いに話ながら食事やお茶の時間を楽しんでいるし、眩しい光の中かもめの声がいつも通りうるさい。

毎日泳ぎに行く海岸。魚がうようよ

7月14日ニースで起きた事件は、やっぱり不可解なことが多い。いや、もはや不可解ではないのかもしれない。おそらくフランス人でも知らない人もいるだろうけれど、「7月14日のあのトラックを写した街中のビデオカメラの映像を全て消去せよ 。」という公的文書が発行されていることがわかった。
あんなにも多くの被害者を出した事件のトラックの動画を、なぜ検証するのではなく、削除するのか。隠したいことがその中に隠されている。

日本の家族から「テロがあった街で恐くないのか?」と問われたが、奇妙かもしれないがやはり以前として恐怖心はない。怒り、というのもない。ただ(前回にも書いたけれど)、世界で起きているすべてのことは繋がっているんだな、と確信しただけだった。


日本ではつい最近、参議院選挙が行われていて、わたしはわたしの周りの多くの人たちがSNSでシェアする三宅洋平氏の動画を繰り返しみた。”選挙フェス”という言葉を幾度となく耳にし、選挙に行って彼に投票しよう、そして戦争法案に反対しよう!という意見の書き込みを何度見たかわからない。とても盛り上がっている様子だった。わたしはそれにうっすらと違和感を覚えていた。

わたしは三宅洋平氏に反対ではない。彼の言っている意見はとてもまっとうだと思うし、頑張っている彼を応援したいと思っている。じゃあなぜ違和感を覚えたのか。
わたしは「選挙」自体を信じていないのだ。国が作ったこのシステムはすでに出来上がっている。わたしたち国民は投票でこの国の政治に参加できると思っているが、わたしはそれを信じていない。この国を牛耳っている人たちはそんなにも簡単にわたしたちに権利を与えるとは思っていない。三宅氏が当選しても当選しなくても、細かなところに変化があったとしても残念ながら大枠はもともとの筋書き通りで進行していく。選挙自体に意味があるとはわたしには思えないのだ。三宅氏を応援していた人たちのエネルギーは相当なものだったと思う。素晴らしいなと本当に思った。だけどそれと同時に、この人たちの大半が三宅氏が何か変えてくれるんじゃないかと彼に期待をしているだけなんじゃないのかとも思った。選挙が終わった後この人たちはどう生きるのだろう。ファーストフードをやめるだろうか。スタバをやめるだろうか。食べ物を変えるだろうか。自分の子供たちにスマートフォンで遊ばせることをやめるだろうか。テレビ付けの日々から抜け出すだろうか。どれだけの人が自分の日々行っていることたちが世界の全体に繋がっていることを知っているのだろうか。大半の人がそれはそれ、今までと同じ生活を何の疑いもなく続けていくのではないだろうか、と考えた。
だからと言って選挙に行く人やそのことを非難するわけではない。自分がそれを信じているならばそれはするべきだと思う。流されるのでなく自分の目で耳で確かめて選ぶことはいいと思う。

残念ながら、彼が当選していたとしても、大きな変化が起きるわけではない。変化は日々のわたしたちの行動でしか変わらない。そうわたしは思っている。毎日毎日わたしたちが日々の中でしている選択一つ一つが、世界の出来事すべてにつながっている。何を食べるか、何を買うか、何を読むか、何を見るか、何を教えるか、何をやめるか。政治に参加することは投票に行くことだけではない。
誰かに期待して依存しても、けっきょく自分が変わらなければ世界は変わらない。

日常は変わらず過ぎてゆく

わたしたちの今の世界はパラドックスに満ちている。わたしたちは何かを信じ、それが正しいことだと思っているけれど、盲目的になった時点で、もしくは他人に何かを期待し決定権を委ねた時点で、パラドックスの世界が開く。

ある時、ある会食中に、ひとりのオーストラリア人の女性が何かの話の中で「わたしはアフリカの孤児たちを救うために毎年お金を寄付しています。」と言ったことがあった。それに対して別の若い女性が質問をした。「世界中に、例えばこの国フランスにも、 あなたの国オーストラリアにもたくさんの孤児がいるのに、なぜアフリカなの?」

Vegan(ヴィーガン)とは、肉や魚はもちろん卵も乳製品も口にせず、食用以外でも革製品など一切の動物利用を排除する考え方のこと。蜂蜜も蜂が作ったものを人間が搾取するという考え方に反対し、蜂蜜も口にしない。世界では蜂がどんどん減っている。環境汚染が問題で、このままでは絶滅してしまう種類もあるのではないかとも言われている。生態系を維持するうえで、花粉の媒介者となる昆虫の役割は不可欠で、種子や木の実、野菜、果物などの生産も、昆虫に依存するところが大きい。その中でも、特に養蜂家によって飼育されるミツバチの活躍は特にめざましく、他の昆虫に比べて20~30倍もの送粉機能を持っていると言われている。蜂が作ったものを搾取するという考え方も結構なのだけれど、実は蜂というのはヨーロッパや南米では人と神聖な繋がりのある動物であり、長い間(約9万年も前から)人間と蜂は蜂蜜を介して共存を守ってきた。 蜂蜜を採集するには例えば牛乳を搾取するような機械仕事はありえない。すべて人が作業をしなければならない。今蜂を守っているのは、実は蜂を飼育している養蜂業者のみだと言われている。それでいて、蜂を守るために蜂蜜は食べない。パラドックスだ。わたしはベジタリアンなので、日々こういうことについて考えてしまう。

市場でイスラエル産のアボカドを手にし、考える。わたしはこれを買わない。


フランスはテロの標的になっている。他の国と比べるとテロで死んでしまう確率は大きいだろうと思う。だからと言って、日本の暮らしはわたしにとっては必ずしも安心だとは言えなかった。市場に並ぶほとんどの食品に入っているアミノ酸はフランスの食品で見たこともない。日本の医療資格のレベルが他の先進国では国家資格として通用しないことも目の当たりにした。食事中もスマートフォンだらけの状況をみることも少なくなった。テロのように一瞬で死んでしまうことがないかわりに、ゆるりゆるりと自分の選択していないところで(本当は自分の選択なんだけれども)割与えられた未来の病気を抱えている。だから、すごく、ひとつひとつ目を開けて自分自身で選択していくしかないと思うのだ。日々自分自身で選択するということは、少なくとも自分に責任があるし、それに希望がある。

自分が信じていることを何度も何度も洗ってみなければならないと思う。そうじゃなければ、前から何回も書いているけれど、いつだってわたしたちは精神的なBoBo(ボボ)になってしまう。


この瞬間、わたしが浮かんでいる空間、わたしの体の感覚、わたしの体を揺らすリズム、わたしの体に響く音、目眩いを起こさせる色、記憶、感じていること、あらゆる気配、わたしを包むもの。それらすべてが交差する一点の染み。内側に侵食し、広がる滲み。
浸す、湿らす、染める、紡ぐ、結ぶ。
ここ、この場所に。
全ての音を。
わたしはゆっくり息をする。
濃密な霧のような体の温もりを感じ、境を慈しむ。
魂のための今を、丁寧に紡いでゆく。

愛しい日々の連続を。



2016年7月18日月曜日

わたしの街のテロ

結局のところ、フランス革命記念日の夜、ニースの海辺、ひとりの鬱病の気がある狂った男が高速でトラックを人混みに突入させ、たくさんの犠牲者を出した。ISは我々に感化された者だと言っているが、本当のところのそのつながりはまだ明確になっていない。
まとまりがなくなるだろうけれど、綴ってみようと思う。


ベッドの上でいつものように寝る前Cyrilとふたりでいろんな話をしていた。いつもよりも少しふたりとも熱くなって話に没頭していたように思う。花火の音が聞こえだしてお互いの話の邪魔をするまでは、外ではキャトルズ・ジュイエ(フランス革命記念日)の催しが行われていることをふたりして忘れていた。開けてる窓から花火の音が響いてかなり音うるさいねなんて窓を閉めた。窓を閉めたあと、今になっては花火の音かどうかわからないけれどとてつもなく大きな音が何発か響いて、ふたりして驚いたのを覚えている。
それから数分、数十分?明確な時間の感覚は覚えていないけれど、携帯がFBのメールを知らせる音を鳴らし、何気なく開いた。日本の友達からのメール。
「大丈夫?ニュースでニースが大変なことになってるって知って。無事だよね?」
なんかニースで起きてるのかな?とCyrilに確認すると同時に、テロだなとすぐに直感した。ふたりしてすぐにインターネットで情報を調べる。
まさか...プロム(プロムナード・ザングレ)でテロが起きた。
それからまもなくサイレンの音が引っ切り無しに鳴り響き、それは明け方まで続いた。


次の日の朝目が覚めて、不思議な感覚だった。いつものように空は突き抜ける青さだし、かもめもいつものようにうるさく鳴いている。本当に何か起こったのだろうか?寝ている間に次々と寄せられていた日本の家族や友達からのメッセージを見て、ニュースをチェックし、死亡者の数が格段に上がっているのを知る。
ぼうっとする頭のままいつもの癖でジョギングウェアをベッドの上に広げた。「まさか今日は走りに行かないよね?」Cyrilに言われてはっとする。
昨日の事件が起きたのはわたしがいつも朝走っている、あのプロムナード・デ・ザングレだ。いつも折り返し地点の目印にしているホテル・ネグレスコはちょうど暴走したトラックが走った2kmの中間地点。そこは紛れもなく「わたしの道」だった。


日課のヨガをするけれどいつも以上にバランスが取りづらい。瞑想もうまく集中ができない。家にいる気にならなかったので散歩に出ようと外に出て街を歩いた。突き抜ける青い空の下、特に閑散とした様子もなく、人は普通に街を歩いている。ただすれ違う人たちが携帯電話で話している内容はすべて昨日の夜のことだった。友人カップルが経営しているカフェをのぞく。目と目を合わした瞬間にどちらからともなく強く抱きしめ合うい、背中をさすり合う。生暖かい友人の体の温もりのせいでなぜか涙がでそうになった。またねとカフェを後にする。
そしてよく行く別のイタリア人家族が経営するカフェの前で、テラスに出ていたマンマとそこで働くも友人と、それぞれ抱きしめ合い背中を撫で合う。
帰り道、別の友人のカフェをのぞく。お互いやその家族や友人たちの無事を報告し合い、ビズをする。いつものようにノワゼットを注文する。途切れ途切れに昨日の事件のことを話す。友人のパートナーも店にくる。カフェのオーナーを交えて事件の話をし、彼らの憤りを感じる。
カフェを出ても、やっぱり空はいつものように青い。少しだけ海の湿気を含んだ風が頬をなでる。

次の朝、いつも通りの空、歩く人々


ヨガを教えている友人ルリアに安否の連絡をとる。夕方一緒に彼女のスタジオで祈りのヨガをしようということになった。わたしが一番早くスタジオに着き、ルリアと話をしていた。そこに明らかに腫れた目をした若いエラが入ってきた。昨日、恋人と目が見えない友人とプロムで花火を見ていたと話す。花火を切り上げ旧市街に入ってしばらくすると、突然猛烈に走る人の波が旧市街の細い道を埋め尽くし、エラはそのまま波にもまれわけもわからずに走った。周りでは叫び声が飛び交うが一切の話し声はなく、皆細い道の両壁に身体をぶつけながらただひたすら走っている。盲目の友人の肘を抱えひたすら走る。何もかもが混乱しパニックだったと話す。
エラの話をそこまで聞いていた時、今にも大粒の涙がこぼれだしそうな目でマリナがスタジオをに入ってきた。彼女は事件の起こった30分後、仕事帰りいつもの道、海辺のプロムを自転車で走っていた。そして、あちらこちらから聞こえる悲鳴、なぜかわからないけれど喧嘩をしている男たち、そして鳴り響くサイレンの中、道にバタバタと倒れている人を目の当たりにした。光がたくさん溢れて空は青くて幸せなイメージしかないあのプロムでこんなことが起こっているなんて本当に信じられないのと彼女の目からとめどなく大粒の涙が流れた。
わたしたちはやっぱり抱きしめ合い、背中をさすり合った。
ルリアが誘導する祈りの歌を歌いながら4人でヨガをする。マリナのすすり泣きが響く。


ニースは世界的に観光名地として有名なわりに、街自体は本当に小さい。人口は約35万人、東京23区の人口の30分の1。友達ができると、徐々にそれは数珠つなぎにつながっていき、賑わうカルチエ(地区)も3つほど。それぞれにお気に入りのカルチエがあり、テラスでカフェを飲んでいると、必ず知り合いに合うというような本当に村のような街だ。観光客で成り立っていると言われるほど夏には観光客がたくさんの街で、そして真上から惜しみなく降り注ぐ太陽の眩しすぎる光と空の青さがなんだか陽気過ぎて、ここで暮らし始めたての当初はそれがなんとなく自分にしっくりこないと思っていたのだけれど、徐々にニースの暮らしの虜になりだし、今では日焼け止めも塗り忘れても気にしないほどここの太陽の光を浴びるのが好きになっている。

旧市街

こんな悲惨な事件がこの街で起こって、日本の家族や友人に心配をかけているのだけれど、なぜだかあんまり怖さというものがない。事件を知れば知るほど不可解なことが多い。19tトラックに積み込まれてあった多量の銃や手榴弾。それにもかかわらず運転手はひとり。そしてそれらの銃や手榴弾はすべて偽物だった。通常大きなイベント、例えばユーロサッカーなどの開催時はプロムは通行規制がかかり、車両は入れない。それなのに、アイスクリームの配達だというだけで特に確認もなくあのトラックは入れていた。内部が入口を開けて犯人を通していたのは言うまでもない。
パリのシャルリーのテロ以降、大きなテロの後には必ず国の法律が、国民をテロから守るという口実のもと書き換えられる。それは国民を守るなんてもってのほか反対にその後国民の自由や権利を脅かすもので、テロは、政府にとっては、いや、世界を牛耳っているものにとってはひとつの国の法を改正できるこれとない機会になる。


この異様な出来事たちの中で、少なくともフランス人は何か変だと気付きだしている人が少なくない。14日の事件のあと、ここに住み始めてから約8ヶ月、一度も思いもしなかったのに、Cyrilの腕の中で、そして友人たちの腕の中で、心底、ああ、この街はわたしの街だとぎゅっと感じた。

わたしたちは何もできないのだろうか?わたしはそうは思わない。
悲しいことだけれど、この事件によってわたしは小さくてもわたしにもできることを確信し出している。
世界が起こっている出来事のすべては繋がっている。

光がずっと変わらずわたしたちの道を照らしますように。

愛しい日々の連続を。

わたしの街