2016年11月9日水曜日

入り込む煙、気配

高校生の頃、仲のいい男友達に勧められて見た「スモーク」。画面構成、色合い、登場人物、彼らの仕草、ストーリー展開、その中の事柄ほとんどすべてが(登場人物の男のすごい柄のネクタイを除いて)わたしの好みで、それからずっと自分の中でとっておきの映画のひとつ。それをつい最近7、8年ぶりに見た。煙草ももう止めてだいぶ経つし、細かなストーリーなんてまったく覚えていなかったけれど、やっぱりとっても好きな映画で、それから、無性に嫉妬のような、この芸術作品に散らばる表現の欠片(カケラ)たちを全部ひとおもいに飲み干したい欲望にかられた。


必ずしも日常はいつもアーティスティックではない。それでもわたしは日々どこかいつも芸術の光の欠片(カケラ)を探すことをやめられないでいる。芸術になり得る何か、昇華させることのできる何か、本当の意味で美につながる何か。年々「現代アート」と呼ばれるものが自分の苦手となりつつあるなかで、美しさの欠片を探し求める目だけは失わないようにとどこか祈りにも似たものを日々紡いでいる。

ただ、それと同時にそこに混じりこむ異物も捨てられないでもいる。ろ過されたあとに残るものたち。ナルシズムとロマンチシズムが混じり合った突発的な涙みたいなもの。心の底からうっとりするためのもの。その中に光の欠片を見つけて思わず目を閉じる。カフェで女友達ととりとめのない話をすることにも、料理をしながら鼻歌を歌うことにも、瞑想することにも、ベッドの中で裸で話をすることにも、夕暮れ時大好きな街の中で途方に暮れることの中にも、紛れこむ、もの。欠片。


月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。アーモンドを少し齧る。言い訳の赤色を愛する指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。ろうそくの光が滲む水の色を味わう。揺れるリズムに身を委ねる。


不思議と身体が引き寄せられる街の光、気配、空気、匂い。少しの間忘れていた、それらを立ちのぼらせる煙がわたしの身体の中に入り込む。

愛しい日々の連続を。