2017年8月22日火曜日

月と浮遊感

あんたが山登り?!
山登りをしたとSNSに投稿した写真を見た、昔のわたしを知っている友人たちの揃いも揃っての同じリアクションのコメントに苦笑する。しかも結構な率でコメントの最後に泣きながら笑っている顔の絵文字がついている。笑われるのはいいけど、泣かれるのはいやだw


十年前のわたしは、自然なんてものに全く興味がなかった。7cm以上のヒールの無い履物は靴だと認めなかったし(本気で)、実際に、学生の頃履きつぶしたコンバース以外スニーカーを持っていなかった。中途半端に日焼けして黄色くなるなんてダサい、考えられないと、高校生の頃から徹底的にアンチ日焼けを約十五年くらい守り通していたし、そんなわたしを知っている旧友たちにとっては、今さら山登りなんて何があいつに起こったのだろうと、泣き笑いは自然なリアクションなのかもしれない。あの頃から考えると、わたしは180度といっていいほど変化している。


カフェを経営する友人とワインを飲んでいた時、カフェを売りに出そうと思っているんだとぽつりと言った。その店はわたしにとっては特に思い入れのあるカフェで、それを聞いた時全身に悲しさが込み上げてきた。同じようにその話を聞いた周りの人たちは「そうか...仕方ないね。」と落ち着いた反応をしている。「そんなのすごく悲しい!」とその友人の言葉をひとりだけ受け入れられないわたしは、周りの友人たちやそのカフェを売りに出す張本人にさえ、揃って「セラヴィ。仕方ないよ。」となだめられる。もういい年だというのに、ただひとり大人の中でぐずっている子供みたいだ。


初めての山登り、昔のわたしが見たら卒倒しそうな「運動靴」を履いて、岩しかない頂上に文字通り這いつくばって登った。足元の危うさと高さに足がすくむ思いだった。頂上の風を気持ちいいと感じるのもつかの間、無事に降りられるのかと早速心配になる。ちらりと隣を見ると、昨日まで連日の仕事でぐったりしていたくせにCyrilは水を得た魚、いや、解き放たれたばかりの猿のように嬉々として危うい足場を飛び跳ねながら登り降りしている。自然に囲まれて生まれ育った彼にとっては、ここは「恐さ」とは程遠い場所なのだ。夫婦なのにわたしたちはこうも違うのだと妙な気持ちになった。


あれだけ楽しみにしていた夏まっ盛りを迎えたというのに、途端にわたしは「お願い、お願いだから夏終わらないで」なんていう考えが止まらなくなる。日本にいた時はこんな風に思うことなんてなかったのに、あまりにも南仏の夏が好きになって、執着し始めている。今持っているものを失うのが恐くて先のことを心配して憂鬱になる。これじゃあ何のためにヨガをやっているのかw 全く学びが反映していない。Cyrilといえば、全く執着とは無縁の人で、いつだって足りていることを知っている彼の姿勢はいつもクールで、そんな彼を時々うらめしく思う。

ヴァニラみたいな無花果みたいな甘いいい香りがする花

「わたし海で泳ぐの大好きだし、ここの夏が大好きなんだけどさ、夏を満喫しているうちになんだか無償に秋が恋しくなるの。そうこうしているうちに秋が来て、すごくワクワクするのよ。」と、仲の良い生粋のニソワ(ニースで生まれ育った人のこと)の女友達が海辺でわたしに話した。ここで生まれ育った彼女たちは、新しいブティックやらレストランにももちろん目ざといのだけれど、それ以上に、昔からの行きつけのチーズ屋、食材店、洋品店なんかを大事にしていて、それを嬉しそうにひとつずつ丁寧にわたしに紹介してくれる。「口から耳へ」という言葉を揃って口にし、この小さいニースの街で、いいものは口コミで広がっていくのよと教えてくれる。


ふらっと立ち寄った夏のソルドで、気づいてみれば買い足したのは結局秋物ばかり。なんだかんだ洋服に関しては昔から秋服が大好きで、ゲンキンだけれども、こればっかりは秋の到来を楽しみにさせる。180度変わったと思う反面、1度さえも狂っていない部分も確かにある。

仲のいい友達の誕生日のホームパーティ、パーティも中盤に差し掛かると、主催の友人がジャズからエレクトロに音楽を切り替え最大に鳴響かせ始める。みんながサロンに集まりだす。重低音をガンガンに感じて踊りまくる。こういうのだったらわたしはそれこそ水を得た魚のようになれる。全く恐くない。超楽しい。またちらりと隣を見るとわたしほど魚度は強くないにしても、Cyrilも楽しそうに踊っている。セビアーン(楽しいねー)なんて言ってくる。なんだこいつは。これも楽しんでる。

この日友人宅の真新しい白い壁に赤ワインをバシャッとやってしまう

仲のいい友人たちがバカンスに出てしまって、街の中も地元の人より観光客の割合が多い8月後半。味気ない街を歩いている途中ふとなんだかさみしくなって、道の真ん中で時差も考えず日本の親友にスカイプをしてみる。もちろん応答するわけがない。パリの親友にも連絡する。彼女ももれなくバカンス中だ。それからいいタイミングで女友達からの誘があって飲みに出る。今まで知らなかった分かり合える部分があることを知ってお互い嬉しくなって、帰り道、ひとりなんだかほっとした気分になる。


誰もいなくなった夜の海で、背泳ぎをする。パンパンに膨れあがった満月手前の月があまりにも美しくて、泳ぐのも忘れてただただ見惚れる。なんだかんだ言って、わたしはこの海に浮かぶ感じが一番好きかもしれない、なんてふと思う。昔すり切れるくらいよく聞いたフィッシュマンズのナイトクルージングが、この海の浮遊感にシンクロして頭の中でふいに鳴り始める。ここの夏を堪能しつつも次に来る季節を喜んで受け入れていく秘訣を、いつかわたしも誰かに教えてあげられる日がくればいいな、なんて波に揺られながら考える。

愛しい日々の連続を♡




2017年7月20日木曜日

剥き出しの感覚、光の隙間、海

無性に海が恋しくなる。朝起きて顔を洗い終わった瞬間から、「海の中に入ること」、それだけしか考えていない時がある。そんな時のわたしはいつもの寝起きの自分とは見違えるほど無駄のない動きで、心を散らさず一心に海に行く準備を整える。体をテキパキ動かしているけれど、頭も心ももうすでに水の中に半分潜っている。
ワンピースを脱ぎ、ビーチサンダルも脱ぎ、脇目も振らずまっしぐらに海岸に下りる。ザブザブと水の中を進む。そしてスルリと体を水の中に滑り込ませる。ヒヤリとした水に全身を撫でられていく感覚。ゆっくり、ゆっくりと前へ進む。横切る魚の群れを目で追う。水に体を同化させていく。そう、この。この瞬間。感情のもやもやが一瞬にして海の中に溶け出す。海に着くまでの道、歩きながらあれだけ止まらなかった思考のスパイラルも一瞬にしてスーっと消えていく。


フランスで個人事業主の申請手続きをし始めてからすでに2ヶ月半が経とうとしている。フランスに住み始め、想像もしなかったひょんなことからヴィーガンのスウィーツを作る仕事を始めることになり、本格的に事業として登録することになった。
半年ほど情報集めやら資格取得に時間を費やし、やっとこさ事業主としての申請手続きを始めたのが2ヶ月半前である。いやはやここはフランス。もちろんすいすいと物事が進むはずがなく、今になっても手続きは完全に終わっていない状態。

わたしの作るスウィーツは、動物性食品は一切使わず、卵も乳製品も使わず、そのうえ熱を加える調理をしない。法律&決まりごと王国のフランスで、わたしが作るこのヴィーガンローケーキはまだまだ”何やら正体不明のもの”。
それでなくてもこの国で手続き系をしようとするとうんざりするほどの時間と事柄が待ち構えているのだけど、それに加えて「新しいこと」に関してはその倍以上の時間とエネルギーがかかるのだ。手続きの担当者から、わたしの作るお菓子はこの地方ではわたしが初めて事業として登録するのだと聞き、なんでまた外国でこんなことに手を出したのだろうかと自嘲気味になった。疲れることこの上ない。振り回され過ぎて一週間以上寝込んだほど。ここでは書けない汚いフランス語を何度口にしたかわからないw とはいえ、完全に終わったと言えないけれど、とりあえず手続きはなんとか無事収束に向かっている。


落ち込んだ時、とっさにパリに住むフランス人の親友に電話をする。彼女と話すとパリ特有の皮肉を交えた会話感が戻ってくるので、シニカルな会話のやり取りを楽しんでいるうちに気持ちが少し楽になる。それからニースに住む仲のいい女友達にも話を聞いてもらう。結局こんな時にはいつもわたしは女友達が必要になる。自分のフランス語が上達すればするほど、彼女たちとの会話も深みと味わいが増す。これはわたしのフランス語への最大のモチベーションで、それなら、もう少し勉強しよう、という気になる。


みんな結構いい歳なのにキッズみたいな仲間たち

仲のいい男友達たちが働くカフェのキッチンに出向き、愚痴を聞いてもらい、音楽の話をして、オーブンから出て来たばっかりのフランボワーズのタルトをひときれぱくりと口に入れてもらう。

どっさりと色とりどりの有機トマトを買い込んで、どしどし切って大きなボウルに放り込む。バジルやミントなんかのその時あるハーブを手でちぎって、同じ店で買った独特の風味のシシリア産のオリーブオイルをかける。ただ、それだけ。左手にボウルを抱え、右手で持ったフォークでどんどん口に入れてゆく。トマトの色と甘みがどんどん体に入ってゆく。
そうこうするうちに、少しずつ元気が戻ってくる。



先日、自分の住んでいるアパート界隈の担当の郵便配達員の人と道端で小さな言い合いをした。相手があまりにも理不尽なことを言うので、詰め寄って文句を言った。その人が立ち去ったあとは、「まったく有り得んな、あいつ...」とため息をついたあと、ふと、なんだか笑いがこみ上げた。詰め寄って顔近づけて人に文句を言うことなんて、今まで日本ではしたことなかったなと思う。場面を客観的に想像したら、漫画みたいだw こんなこと深く考えもしないで行動するなんて、なんだかんだいって、この国の環境に体が馴染んできたのかもしれない。

知り合いのアーティストの倉庫を改装したアトリエ、がとても素敵

そして街のショーウィンドウに映った自分の姿を見て思わず立ち止まる。いったいわたしはナニジンになっていくのだろうか。
「え?!まだあやみちゃんここ来て二年も経ってへんの?!馴染みすぎやろー(笑)!」
なんて、つい二、三日前に同じ関西出身のニースに住む友人に笑われたばかりだ。いらだたされることは日常茶飯事、言葉にしようのない不甲斐なさや憤りを感じることも多いとはいえ、それでもどこか自分にしっくりくる部分がこの国にはあり、日本に背を向けて思い切り深呼吸できる自分もいる。「他人の言葉をあてにしない、真に受け過ぎない」をモットーにしさえすれば、この国では案外近道や抜け道を見つけて目的地に辿りつけるということもだんだん分かってきた。けれども、わたしはやはり日本人であるし、この国では外国人だ。

まるで家族みたいに大切な人たち(ってか実家族1名)

何かを感じすぎたり、起きた出来事に説明や意味を求め過ぎたり、心もとないふわふわした気持ちになったり、なんで?なんで?なんで?と疑問符で頭がいっぱいになったり、時々自分がまた思春期に戻ってしまったような、頭と体と心がバラバラになってしまったようなそんな心もとなさを感じることがある。長年共にしてきた皮膚を剥いで、何もかも剥き出しで歩いているような、そしてまた新たに皮膚を再生させるような、感覚。
一旦頭と体と心をバラバラにして、組み立て直す。大人になってから外国に住むということはそういう作業なしには進めないのかもしれない。


まるで街の全体を光だけで包めることを誇示したいかのような南仏の太陽の光を体全体に浴びながら、広場に咲き誇るネムノキの鮮やかなピンクの花を見上げる。静かに目を瞑る。
そしてまた海へ向かう。

愛しい日々の連続を。




2017年4月30日日曜日

神経症的会話の味わい

こんな風に、完璧な構図と音楽とユーモアだけで世界を成り立たせられたら。
なんて、久しぶりにジャック・タチの映画を見ながらぼーっとそんなことを考えた。新月の雨の夜。

仲のよい女友達からの電話が鳴る。
「ねえ、もし時間があったら今からちょっとだけ会わない?」

彼女とわたしは、お互い時間を見つけては喋り続けている。もちろん女子特有のたわいもない話や読んだ本やら見た映画の話も盛り込むのだけれど、それ以外に語り合うほとんどの会話は、詳細な心理描写、それは時にはウッディ・アレンもきっと辟易するんじゃないかと思うくらいの執拗さと細かさで成り立っている。


遅めの朝のカフェを飲みながら、昼食をとりながら、公園を歩きながら、道路を横切りながら、本屋の棚の間を縫い歩きながら、市場で野菜をよりながら、ブティックのオープニングパーティに向かう途中、レイトショーの帰り、カフェのテラスで、芝生の真ん中で、美容室の待合室で、彼女のアパルトマンの生成り色のソファで、キッチンに立ちながら、バーのカウンターに腰かけながら。

生姜入りのそれは美味しいラビオリを頬張りながら、酸味が強過ぎるカフェにふたりして文句を言いながら、電話で莓を齧りながら、2杯目のボーヌの赤ワインを飲み干しながら、映画のあとのほろ苦いタブレットショコラを齧りながら。
 
わたしたちの話はつきない。

ニースにはめずらしい色合い

今まで夫としか話合えなかった、物事の細かいひだについてや、長年折りたたんだまま開いてみようとしていなかった様々な自分の感情や気持ちの移り変わり、人への接し方、自分のコンプレックスやそれに対する考え方、家族との関係、他人の持つ癖に対応するその仕方、単語の本当の意味、それぞれ自分のかかりつけのPsy(心理カウンセラー)の見解の仕方、それらひとつひとつを誰かと話合えるということは、とても興味深い。

いろいろな状況や様々な感情のひだをただただすべてひとまとめにして、「本当はみんな基本いい人だから」とか、「何はともあれ他人に感謝しましょう」とか、そういうことがもちろん助けになるような時期もあるのだろうけれど、ただそれだけですべての問題を乗り切ってしまおうとすることは、残念ながら根本的な解決策にはならない。日めくりカレンダーに書かれた格言だけでは掬いきれない粒の細かな事柄が日々たくさんある。


フランスへ来てからというもの、自分の口から発せられ、自分の耳に入ってくる不協和音入りの自分のフランス語のメロディーに、わたしは日々イライラさせられている。時々自分の発しているその音がどうしてもフランス語に聞こえず、耳を塞ぎたくなる。このこともわたしの部分的な神経質さに拍車をかけているのかもしれない。自分が発する音が自分をイライラさせるなんて、笑いたくなるほど堪え難い。それこそ、完璧な雑音で彩られるタチの世界に入り込みたくなる。そのフラストレーションを、ほとんどアクセントがないとても聞き取りやすい彼女のフランス語を耳にしながらだと、自分の耳をごまかして少しは中和させながら会話ができる。これは彼女といてとても楽な気分になる理由のひとつなのかもしれない。

猫を助けたくて仕事をほっぽり出し

理想と現実のズレ。外と内の対比。完璧に見える塀の向こう。混沌した内側。衝突を仰ぐ世界。完璧な構図への憧れを手放した瞬間に訪れる、滑稽さに宿る優しい光。
自分の生まれ育った場所ではない国に根を下ろし始めて初めて気づくことの数々。人との関係の中で存在するコード(規範)の違い。 育ってきた環境も言葉も何もかも異なる人たち。そして違いを認めてお互いの今を慈しむ感覚。

30半ばも過ぎて、また「友人とは」なんて考えている。
恋愛とはまた違う、それでいて同じように果てしなくかけがえのない領域に属する人々、その関係。

友人たちが巻き煙草のために使うのは祖国の古いお札


鳥に憧れているベッドシーツがバタバタとはためく風の強い、それでいてどこまでも青い空の朝、かもめの輪郭をあやふやにして混ぜ込んだ灰色の空の憂鬱な午後、金色の光がキラキラ揺れる海辺の夕方、通りに人が溢れる興奮した音だらけの夜。冬と春、春と夏の間でいったりきたり彷徨うこの時期、ぐるぐるとそのすべてを巻き込んで飛ばしてしまおうとする風が時折り吹く。

相変わらずわたしたちの話はつきない。

愛しい日々の連続を♡



2017年3月19日日曜日

久しぶりにがくんと落ち込んで、それからぺこりと起き上がったこと

フランスで生活をしていて、時々、いや、かなりの確率で、自分が子供みたいに感じることがある。ひとりで完璧に何かをすることができない、自分の言いたいことの半分ぐらいしか人に伝えることができない、細かなニュアンスをうまく伝えられない。そんな時、自分が今まで社会の中でいっちょまえに生きてきたという幻想を抱いているだけの、ただ年だけを重ねた身体とのサイズに違和感を感じている子供のような、自分が奇妙な生き物になったように感じて愕然とする。


久しぶりにがくんと落ち込んだ出来事があった。結局のところすべては自分の無防備さと甘さ、自分が的確にフランス語で相手に意思を伝えられなかったことなどが原因で起こったことだ。ぐるぐる頭からその出来事が離れず、久しぶりに眠れない夜を過ごした。その問題を乗り越えるためにはきちんとしたフランス語で相手に自分の考えていることをくっきりはっきり伝えることが必要で、自分の態度で、言葉できちんと自分の意思を表すこと、わかりやすく明確に要点を手短にフランス語で伝えることの重要さを学んだ。
そのことに対して自分はどう思っているのか、どう感じているのか、どんな考えを持っているのか、自分はどうしたいのか、それからどんな人たちと付き合っていきたいのか、そういうことが今回の出来事でとてもクリアになった。けっこう2、3日久しぶりに落ち込んだわけだけど、結果それはわたしにとっては必要な経験で、とても勉強になった。


それから、この一連の出来事を話せて、しかも親身になって聞いてくれて一緒に憤ってくれたりする友達が周りにいることのありがたさも再認識した。いつも感情表現豊かなわたしの周りのラテン人たちが、こういう時、大げさに慰めたりせずただただ優しい感情と論理的な視点と冷静な大人の見解を持ってわたしの話を聞いてくれるということに、小さな感動を覚えた。「その悔しさ覚えておくんだよ、それを糧にするんだよ!負けんなよ!」的な体育会系がけっこう苦手なわたしは、その大人な優しさにしみじみ癒される。


その起こった一連の出来事を相談した友達のひとりと、そしてCyrilは別々に、けれども同じことをわたしに言った。「賢さというのは心の温かさを持ってこそ賢さと言うんだよ。心のないずる賢さや相手に恥をかかせるような態度、攻撃的な態度、口先だけの会話、いろんなことを後ろに隠しながら繋ぐものなんて、ただの大きなエゴの塊から生まれたものでしかない。ビジネスだって友情関係だって、そういうエゴの持ち主とどう付き合うかはいつだって自分が決めていけることだよ。」


日本にいた時の何年間か、エゴがうずまく世界で仕事をしてさんざんへとへとになった。とてもよい経験だったし、そこから得たものは大きいけれど、何よりもそれぞれのエゴを全面に出しながら密接に関わりあう関係はもう懲り懲りだ。何より自分のエゴと向き合うことで精一杯なのでw、他人のそれに付き合うのはできればもう避けたい。



それにしても、今回、起きた問題をクリアするために、相手にきちんと自分の意見を伝えるために、改めてフランス語に向き合ったわけだけれど、やっぱり自分はこの言語が好きだなと感じた。話せば話すほど増す増す好きになっていく。日常生活の上でこれほど意味のない能力はないのではないかと何十年もの間常々思ってきた、小さい時に習得した絶対音感のせいで、いや、おかげでというべきか、日々、一句一句自分がフランス語を発する度、自分の発音とネイティヴの発音の違いが気になって気になって頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られるぐらいイライラさせられている。自分の発音の不協和音にイーッとなる。のだけれど、それでも自分はこの言語が好きだとすごく思うのは、フランス語が奏でる音の美しさのせいか。
最近仲の良い3歳の可愛いわたしの友達は、大人の話す言葉できちんと文章を組み立て、フランス語を話す。彼女の発音はもちろん、語彙力、文法力にはもうわたしはすでに負けている。人にきちんとした発音できちんとした文法で何かを伝えることは、大事なことだ。言語をきちんと自分のものにすることで、社会の中で少しずつ大人になっていく...いけたらいいなあw

愛しい日々の連続を♡



2017年2月6日月曜日

蘇る記憶、緑の世界

ある瞬間に突然、強烈に強い光のようなものに身体全体を奪われる、何か遠い昔のことと先の未来のことがぐわんと一瞬にして身体の中で入り混ざり、異様に頭がすっきりする、そんな感覚になることが、過去に一度あった。
そして先日、ある場所に一歩入った瞬間にまた、それが起こった。


古い瓶に貼られたラベル、書かれた植物の名前をそっと指先でなぞる。
スポイドからとろり、とろりと垂れる花のエキス。押しつぶしてしまわないように、乾いた葉たちをそろりと手のひらで掬う。ハーブを丁寧にすり潰す。目を瞑る。立ち昇る香りをゆっくり吸い込む。

身体を知る。自然に触れる。宇宙との繋がりを認識する。
蘇る記憶の欠片をスプーンで掬う。月の光を数滴とろりと垂らす。
小さな古い扉。首からさげたペンダント。鍵穴の埃を払い、そっとそれを差し込む。
月の光と緑のうたの世界。緑の指が誘う、書物との密会。


例の強くてそれでいて優しい光。それはその扉を開けた瞬間だった。

”月の香りを感じたり、黒色の官能を選んだり、揺れるスカートで現実を少し覆って、ひとりにやりと匂いに潜む秘密の記憶を楽しむ。アーモンドを少し齧る。言い訳の赤色を愛する指でぬぐってもらう。お湯の中に体を沈めて、耳までそっと入れる。目を閉じる。ろうそくの光が滲む水の色を味わう。揺れるリズムに身を委ねる。”

✳︎ずっと書けていなかったこと、「ホメオパシーのこと」はここからどうぞ✳︎

愛しい日々の連続を♡

色の旋律
Blue:冬の裾の色
Violet:紫のニュアンス
Entre Rose et Rouge:前髪から宇宙まで
Rainbow:魔女の色彩
Rouge : 赤の分量


ホメオパシーのこと

ずーっとずーっとここに書きたいなと思っていたまま、でも書けていないことがある。

わたしがここフランスに住み始めてとても強く感じる事柄はそれはもう数え切れないほどあるけれど、その中でも「食べ物のこと」とそして「医療のこと」については、真面目に日々考えさせられることが多い。こと医療については最近、わたしの中でむくむくと大きな何か動的なものになってきている。


フランスに越してきてすぐ、わたしは「ホメオパシー」と近くなった。夫の母は若い頃から自然療法に関心があり生活に取り入れてきている人で、 アーユルヴェーダ、中医学、ホメオパシーにも詳しい。

以前日本からフランスへ引っ越しをする一週間前に、わたしは左目にものもらいを患った。眼科医に駆け込み、目薬を処方してもらったものの日が経つにつれわたしの左目はどんどん膨れあがった。結局先生はプチっと針でつぶし、膿自体はなくなったものの、目の腫れは残りわたしはとりあえず処方されたステロイド入りの塗り薬を持ち、フランスへ入国した。約1ヶ月間目薬とその塗り薬を使っていたが相変わらず左目の腫れは残ったままだった。
わたしの左目を見た義母は、わたしにホメオパシーの薬をすすめてくれた。その時手にしたものが、わたしの生涯始めてのホメオパシーであった。

その当時のわたしのホメオパシーに対しての知識は、名前だけは聞いたことがあったものの、正直どんなものか具体的には全く知識はなく、自然療法の一環だというふんわりとしたものだった。しかも日本に居た当時の知人で、なぜだか狂信的にホメオパシーに反対している人がいて、その人は「ホメオパシーは宗教だよ!」なんてふれ回っていた。それに加え、自分で調べようにもその手のサイトはなんとなく論理性に欠け、天使が飛んでいるような変なデザイン(これはわたしの趣味の問題w)のサイト、というかブログが多かったので、わたしとしてはとりあえずよくわからない、触れないでおこうという感じだった。


日本では眉唾もの扱いされている感が否めないホメオパシーだが(日本のwikipediaの説明がすごい)、一方フランスでは医師の処方であれば健康保険から35%の還付が受けられる。ホメオパシー専門の医師になるには、西洋医学の一般医の資格を取得した上で、さらにホメオパシーの資格を取らなければならない。処方箋なしでも買えるホメオパシーは、値段も安く薬局で相談して誰でも普通に買うことができるので、昔からフランスの家庭では常備薬の一つとして、家の薬箱に何かしらのひとつやふたつホメオパシーの薬が入っていることが多いと聞く。わたしのフランス人の友人も使っている友達が多い。
ホメオパシーとは、「同種療法」と言われ、「症状を起こすものが、症状を消す」という基本概念から、症状を起こす物質を希釈して薄め、ごくわずかを体に与えることにより、身体の自然治癒力が引き出され、症状を軽減するということ理論である。

症状そのものを抑制する現代医学と違って、その原因そのものに着目し治癒していくという考え方。人だけでなく動物にも効果的なのは有名で、フランスでは獣医や家畜農業に携わる人にもよく使われている。そして現代医学の薬と違う大きな点は、副作用がないこと。ただし、レメディーとよばれる小さな砂糖玉の中にある物質は、科学的証拠が立証されず、効果を科学的には証明できない。効果も西洋医学の薬のようにすぐ実感できるものではなく(中には症状を治めるためにすぐ効果を実感できるものもある)、半年、一年と長期で取り組まなければならない。フランスでも賛否両論で、懐疑的な人も少なくはない。


しかしわたしの身体には、この”科学では証明できない物質、よくわからないもの”がなぜか合っているらしく、効果がテキメンに現れるのだ。フランスに来てから約1ヶ月、ステロイドを塗ってもひかなかった左目の瞼の腫れは、義母のくれたレメディーとホメオパシーの塗り薬で2日で見事になくなった。
それからあと続けて2、3の効果テキメンの症例があり、わたしはもりもりホメオパシーもっとよく知りたい欲にどっぷり浸り、気分を良くしたわたしはその後、少しずつではあるが本を参考にしながら自分の症状に照らし合わせ、自分の身体を使って人体実験を試み続けている。そして何より日本で普及しない理由には、どうやらいつも通り黒いわけがありそうだ。


わたしの夫には長い間(おそらく20年間ほど)患っている身体の症状があり、日本にいる間も彼はその症状にかなり悩まされていた。フランスに帰国後その症状の改善にと、ホメオパシー専門の先生にかかるようになり、約一年半たった今その症状は見違えるほどに改善している。そしてわたしも彼に便乗し、その医師にかかるようになったのだけれど、処方された薬を飲み始めてきっかり半年を境にいろいろな自分の長年持っていた症状、それも病院にいっても特に病気という診断はされない類のもの(例えばひどい末端冷え性や大人になっても治らない乗り物酔い、右半身にいつも現れる症状、消化の問題、何度も繰り返してきたぎっくり腰をともなう腰痛など)が見違えるほど軽減した。いつもゲロゲロになっていた義母の運転にも、今はケロリとしているので周りを驚かせている。


症状ではなく、根本にある原因そのものに働きかけていくという点で、ホメオパシーは現代医学と大きく違う。そしてその薬はもちろん、その”診断”に鍵があると言える。医師の知識や経験、そして患者の身体の状態をどこまで知る診断ができるかどうかということが大きく関係してくるので、夫は今まで5、6人ほどホメオパシーの専門医にかかったことがあるらしいが、やっと効果を実感できる薬を処方してくれる今のドクターに出会ったと言っている。なるほど、わたしたちの今のドクターは、ありとあらゆる質問をする。


日に日に強く思うのは、お医者さんまかせではなく、自分自身が医療に対してのある程度の知識を持って自分の病気や身体に対峙していくことが何より大切だということ。これはなにもホメオパシーに限ったことではない。
それからホメオパシーにこの一年半接してきて、なんとなくなのだけれど、頭の知識はもちろん、勘というのか感覚というのか、言葉ではうまく説明できないけれど、何かしら自分のエネルギーにきちんと意識を傾けて対話するセンスというものが必要なのではないか、と感じている。これはホメオパシーに限ったことではなさそうで、アーユルヴェーダや中医学にも通じていると思う。

身体のことを考えるなら、症状を治めることだけに意識を向けるのではなく、根本の原因を考えること。そして心と体はやはり、やはり密接に繋がっている。皮膚の外側と内側も同じ繋がりを持ち広がっている。
結局わたしは今そのことにまた戻り着いた。
大切な身体のこと、そこから広がることを、もっと深く知りたい。
それにしても、アーユルヴェーダに、中医学にって...道はなかなか長そうだ。

...ちなみに、ここには何度も書いているけれど、わたしは自分教以外の宗教には属していないw

愛しい日々の連続を。


2017年1月29日日曜日

Parisに身を浸す

眠い、眠くてしょうがない。パリから戻ったあとはいつもこうなる。四六時中眠い。とはいえ、休んでいた分仕事の注文が立て続けに入っているので、昼間眠っているわけにはいかないし、仲のいい友達から誘いが入ったので会うのだけど、とにかく頭がぼーっとしている。


なんとなくパッと思いつきで突然決めた今回のパリ滞在は、とくにこれといった大きな理由があるわけではなかった。また行くの?何しに?と聞かれた答えにつまる。仲のいい女友達に会いに、髪を切りに、どれもあっているのだけれど、結局のところ「街を散歩しに」というのが一番近い。隙を見つけてはひとりでぶらぶらひたすら歩く、歩く、歩く。

引きつけられるその不思議な磁場で自分自身を充電するために。「充電」といっても、夫と何かあったとか、人間関係に疲れたとか、はたまた買い物をしに行きたいとか話題のレストランに行きたいとか、ニースの生活が退屈になった、とか、そういうことではまったくない。生活の心地よさでいえばニースはわたしにとってとても住みやすい街になっている。じゃあなんだと言われれば、とても説明しにくいのだけれど、とにかく自分の身体(体と精神両方)に必要な何かがあの街にあり、それを補給する、という意味においての充電である。パリの街に住むことも既に経験したし、ここまで何回も通っていると、ある種の「憧れ」というのは色褪せてくる。フランス語もある程度分かってくると、パリの人たちの意地悪さもわかる場面も出てくる。それでも、「憧れ」でももうなんでもない何かがある。


気の置けない女友達がふたりパリにいる。セリーヌとゾエ。ふたりともわたしと同じ年代のフランス人だ。でも彼女たちはそれぞれまった違う種類の人たちで、わたしはそれぞれにいつも別々に会うのだけれど、共通点といえば、メトロの駅名だけを伝えただけで、それは何番線と何番線の駅で、だから乗り換えはここの駅で、ということをスラスラと答えられること。どうやらパリジェンヌになるためのメトロの試験でもあるらしい。(←もちろん、嘘。)

最初の一夜だけを郊外のゾエのアパルトマンに泊めてもらう。急に冷え込みが激しくなったパリ、わたしがついたその日はゾエのアパルトマンがあるレジダンス全体の暖房が故障するという事態に見舞われ、ゾエとその妹と三人でモコモコに着込んで布団にくるまって、学生の頃のパジャマパーティのように夜を明かした。


次の日からの滞在場所には20区を選んだ。最近個人的に20区が気になって仕方がないので、じゃあちょっとだけ住んでみようと、ベルヴィルから少し南東に下がった11区との境目にアパルトマンを借りた。昔半年ほど19区に住んでいたことがあるけれど、同じように移民がたくさん集まる庶民的なカルチエでも、雰囲気はまた違う。皮肉をいうと、19区よりももっとBOBOの匂いが漂い始めているのを感じる。

日本では19区や20区は日本人がうろうろしてはいけない地区、なんて言われているのをよく聞く。日本の人に今回20区にアパルトマンを借りたよというと、ぎょっとされたりもした。あらまあ物好きな。5区リュクサンブールの目前のアパルトマンにも半年ほど住んだ経験があるけれど、それこそ土地の雰囲気も街の人も全然違う。ある意味別世界で、どちらがいいかと聞かれれば、わたしはどちらも同じくらい好きで選べない。20区はもちろん危険な場所もあるのだろうけれど、それよりも面白い場所の方が多いと思う。夜12時過ぎて出歩いたり、人気のないところに行かなければ、特に問題はないし、事実、今回の滞在で、わたしはこの界隈が俄然好きになった。


懐古趣味だと言われるかもしれないけれど、時代が進めば進むほど、わたしは伝統的なものに惹かれていく。ニースではほとんど目にすることがないクラシックなカフェ。静かな店内、カウンターに等間隔でぶら下げられた丸い電灯の柔らかい光、そこに並ぶ革張りの高い回転椅子、モザイク模様のタイルが敷き詰められた底、鏡張りの壁、そこに並ぶ年季を感じさせる革張りのソファ、装飾が施された鉄の一つ足の木のテーブル。5区にも6区にも、大好きな3区や11区にも、そして19区や20区にもあちらこちらに残っている。そこに居る時間はいつも、なぜかわたしをとても安心させる。今回の滞在もセリーヌやゾラと会っている時間がほとんどだったけれど、それ以外の時間の合間を見つけては、その安心の時間と空間に身を浸していた。買い物も話題の展覧会も、わたしとパリをつなぐ理由にの一番ではやはりなかった。


ニースに帰る日の前夜、セリーヌとその友達のシルヴィーをアパルトマンに呼んでSoirée de filles(女子会)をする。同棲している彼氏のカーブからワインをくすねてきたとシルヴィはワイン3本をテーブルにどんと置く。それを見て次の日無事ニースに帰れるのだろうかと少々不安になりながらも、それはそれ、あっという間に夜は更ける。


パリ滞在中の5日間、パリでは珍しく毎日雲ひとつない青空が続いていた。気温は日中3、4度と、12、3度のニースとはもちろん比べ物にはならなくらい寒いのだけれど、風もなく湿気が少ない分防寒していればそれほど寒さを感じない。帰路ニースに行きの機内、機長がアナウンスで「今日のニースの天気は”例外的に”パリよりも悪いです。」と笑いをとっていた(ニースは雨の日がとても少なく、ほとんどピーカンに晴れているので過ごしやすい土地として有名なのだ)けれど、彼のの言った通り、着いたニースはどんよりと雲が垂れ込めた雨、湿気をぱんぱんに含んだ風が吹き荒れていた。セリーヌにSMSでニースに無事着いたこと、その”例外的な”天気のことを報告すると、「だからやっぱり自分の直感に従うべきね。そのままパリに残っていればよかったのにね。hihihi」と返事がくる。ひとこともパリに残りたいなんて言った覚えないのに、なんの直感のことを彼女は話してるんだろうかと苦笑しながら空港から市内行きのバスに乗り込む。


なぜパリという街がわたしにそんな作用があるのか、という理由をなんとなく分かっている人がひとりいる。「自分にはその種の敏感さはないけれど、君にはある、本当は納得できるわけがあるんだよ」というのだ。過去生をパリで生きていたとかそういうたぐいのものとは別の、確固たる理由らしい。ただ、それは誰もが簡単に理解するものではないので、ちょっと頭がおかしいなんて思われることもあるかもしれない、だから特に今はまだ人に説明する必要がないと思うよ、とその人はわたしに優しい忠告をした。
とにかく、あの街はわたし意思とは無関係に、身体にある種の反応を起こさせるのだ。
不思議な街だ。その秘密を少しでも解き明かせたら。



愛しい日々の連続を。

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