2017年1月29日日曜日

Parisに身を浸す

眠い、眠くてしょうがない。パリから戻ったあとはいつもこうなる。四六時中眠い。とはいえ、休んでいた分仕事の注文が立て続けに入っているので、昼間眠っているわけにはいかないし、仲のいい友達から誘いが入ったので会うのだけど、とにかく頭がぼーっとしている。


なんとなくパッと思いつきで突然決めた今回のパリ滞在は、とくにこれといった大きな理由があるわけではなかった。また行くの?何しに?と聞かれた答えにつまる。仲のいい女友達に会いに、髪を切りに、どれもあっているのだけれど、結局のところ「街を散歩しに」というのが一番近い。隙を見つけてはひとりでぶらぶらひたすら歩く、歩く、歩く。

引きつけられるその不思議な磁場で自分自身を充電するために。「充電」といっても、夫と何かあったとか、人間関係に疲れたとか、はたまた買い物をしに行きたいとか話題のレストランに行きたいとか、ニースの生活が退屈になった、とか、そういうことではまったくない。生活の心地よさでいえばニースはわたしにとってとても住みやすい街になっている。じゃあなんだと言われれば、とても説明しにくいのだけれど、とにかく自分の身体(体と精神両方)に必要な何かがあの街にあり、それを補給する、という意味においての充電である。パリの街に住むことも既に経験したし、ここまで何回も通っていると、ある種の「憧れ」というのは色褪せてくる。フランス語もある程度分かってくると、パリの人たちの意地悪さもわかる場面も出てくる。それでも、「憧れ」でももうなんでもない何かがある。


気の置けない女友達がふたりパリにいる。セリーヌとゾエ。ふたりともわたしと同じ年代のフランス人だ。でも彼女たちはそれぞれまった違う種類の人たちで、わたしはそれぞれにいつも別々に会うのだけれど、共通点といえば、メトロの駅名だけを伝えただけで、それは何番線と何番線の駅で、だから乗り換えはここの駅で、ということをスラスラと答えられること。どうやらパリジェンヌになるためのメトロの試験でもあるらしい。(←もちろん、嘘。)

最初の一夜だけを郊外のゾエのアパルトマンに泊めてもらう。急に冷え込みが激しくなったパリ、わたしがついたその日はゾエのアパルトマンがあるレジダンス全体の暖房が故障するという事態に見舞われ、ゾエとその妹と三人でモコモコに着込んで布団にくるまって、学生の頃のパジャマパーティのように夜を明かした。


次の日からの滞在場所には20区を選んだ。最近個人的に20区が気になって仕方がないので、じゃあちょっとだけ住んでみようと、ベルヴィルから少し南東に下がった11区との境目にアパルトマンを借りた。昔半年ほど19区に住んでいたことがあるけれど、同じように移民がたくさん集まる庶民的なカルチエでも、雰囲気はまた違う。皮肉をいうと、19区よりももっとBOBOの匂いが漂い始めているのを感じる。

日本では19区や20区は日本人がうろうろしてはいけない地区、なんて言われているのをよく聞く。日本の人に今回20区にアパルトマンを借りたよというと、ぎょっとされたりもした。あらまあ物好きな。5区リュクサンブールの目前のアパルトマンにも半年ほど住んだ経験があるけれど、それこそ土地の雰囲気も街の人も全然違う。ある意味別世界で、どちらがいいかと聞かれれば、わたしはどちらも同じくらい好きで選べない。20区はもちろん危険な場所もあるのだろうけれど、それよりも面白い場所の方が多いと思う。夜12時過ぎて出歩いたり、人気のないところに行かなければ、特に問題はないし、事実、今回の滞在で、わたしはこの界隈が俄然好きになった。


懐古趣味だと言われるかもしれないけれど、時代が進めば進むほど、わたしは伝統的なものに惹かれていく。ニースではほとんど目にすることがないクラシックなカフェ。静かな店内、カウンターに等間隔でぶら下げられた丸い電灯の柔らかい光、そこに並ぶ革張りの高い回転椅子、モザイク模様のタイルが敷き詰められた底、鏡張りの壁、そこに並ぶ年季を感じさせる革張りのソファ、装飾が施された鉄の一つ足の木のテーブル。5区にも6区にも、大好きな3区や11区にも、そして19区や20区にもあちらこちらに残っている。そこに居る時間はいつも、なぜかわたしをとても安心させる。今回の滞在もセリーヌやゾラと会っている時間がほとんどだったけれど、それ以外の時間の合間を見つけては、その安心の時間と空間に身を浸していた。買い物も話題の展覧会も、わたしとパリをつなぐ理由にの一番ではやはりなかった。


ニースに帰る日の前夜、セリーヌとその友達のシルヴィーをアパルトマンに呼んでSoirée de filles(女子会)をする。同棲している彼氏のカーブからワインをくすねてきたとシルヴィはワイン3本をテーブルにどんと置く。それを見て次の日無事ニースに帰れるのだろうかと少々不安になりながらも、それはそれ、あっという間に夜は更ける。


パリ滞在中の5日間、パリでは珍しく毎日雲ひとつない青空が続いていた。気温は日中3、4度と、12、3度のニースとはもちろん比べ物にはならなくらい寒いのだけれど、風もなく湿気が少ない分防寒していればそれほど寒さを感じない。帰路ニースに行きの機内、機長がアナウンスで「今日のニースの天気は”例外的に”パリよりも悪いです。」と笑いをとっていた(ニースは雨の日がとても少なく、ほとんどピーカンに晴れているので過ごしやすい土地として有名なのだ)けれど、彼のの言った通り、着いたニースはどんよりと雲が垂れ込めた雨、湿気をぱんぱんに含んだ風が吹き荒れていた。セリーヌにSMSでニースに無事着いたこと、その”例外的な”天気のことを報告すると、「だからやっぱり自分の直感に従うべきね。そのままパリに残っていればよかったのにね。hihihi」と返事がくる。ひとこともパリに残りたいなんて言った覚えないのに、なんの直感のことを彼女は話してるんだろうかと苦笑しながら空港から市内行きのバスに乗り込む。


なぜパリという街がわたしにそんな作用があるのか、という理由をなんとなく分かっている人がひとりいる。「自分にはその種の敏感さはないけれど、君にはある、本当は納得できるわけがあるんだよ」というのだ。過去生をパリで生きていたとかそういうたぐいのものとは別の、確固たる理由らしい。ただ、それは誰もが簡単に理解するものではないので、ちょっと頭がおかしいなんて思われることもあるかもしれない、だから特に今はまだ人に説明する必要がないと思うよ、とその人はわたしに優しい忠告をした。
とにかく、あの街はわたし意思とは無関係に、身体にある種の反応を起こさせるのだ。
不思議な街だ。その秘密を少しでも解き明かせたら。



愛しい日々の連続を。

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